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Re: 重ねてビックリ!

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 4月26日(水)23時18分59秒
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  かんじさんへ

仰せの通り、楽しませてもらってますよ。(^^)v
そうそう、結局のところ永山にある宗谷線踏切は全て1丁目ずつ名前がずれてますね。(巡る時間がないのでストリートビュー調べ)
ただし、中島街道の名称については今のところ分かっていません。

それはともかく、永山の地番がいつの間に変わったのかが気になって、とりあえずざっと市史年表を拾ってみました。
どうやらパルプができる前の、中島地域の旭川編入問題が微妙に絡んでいるみたいですね。



 大正10年 永山村、新旭川地区市街地計画を策定
 大正11年 新旭川駅開業  旭川区に市制施行、旭川市となる
 大正13年 新旭川・中島地区住民200人余、永山1丁目道路以西の旭川編入を請願
 大正14年 旭川市、永山村長に永山全村または一部合併の意思を照会(回答は保留)
 大正15年 永山村中島・新旭川開発期成会が総会決議の上、旭川市編入の請願書を永山村に提出

 昭和5年  新旭川開発期成会の新旭川住民ら130余人、旭川編入を旭川市・永山村・上川支庁に陳情
      (牛朱別川切替事業によって編入問題が再燃)
 昭和7年  2月、旭川市長と永山村長の編入交渉、前年から3回目の協議も決裂
      9月、道庁、新旭川編入問題で旭川市・永山村の調停に当たる
      10月、旭川市会・永山村会、旭川市に新旭川地区を編入する道庁の諮問を可決
      11月、旭川市に永山村新旭川地区を編入(道庁告)

 昭和11年 永山村の字名地番改正施行(道庁告)



大正時代からすったもんだやって、新旭川・中島地域の旭川編入は昭和7年にようやく実現するわけですが、
年表では単に新旭川地区となってるだけで編入区域が定かでありません。
実際の編入区域は、当時の永山町零丁目道路以西(番外零丁目・中島・日ノ出・新旭川・牛別)だと思われます。
現在の住所で言えば、東・新富・大雪通・パルプ町・新星町ですね。
根拠は、その後パルプ工場ができた際に、永山村ではなく旭川とされているという事と、
元々永山村の字名であった牛別が、編入後には大字永山村字牛別という表記に変わっている点です。
この「大字」というのは、合併や編入などの後、元の自治体名を表す意味合いがあるそうですから旭川市になったという証だと思います。

大正13年の住民請願では、永山1丁目道路以西の編入請願となっていますが、
さんざん揉めた末の編入ですから、道庁の調停で編入地域を1丁目道路以西から零丁目道路以西に縮小された事は充分考えられます。
この結果永山村は、零丁目道路を旭川との境とし、当麻村との境までの零丁目から15丁目が新村域となるわけです。

そして昭和11年の永山村の字名地番改正です。

これもどこをどう改正したのかもう少し調べないと定かでないのですが、
零丁目~15丁目を1丁目~16丁目に変更したのはこの時しかないと考えます。
住民の請願通り、1丁目道路以西が旭川に編入されていれば永山から零丁目が無くなり、こんな紛らわしい地番改正は必要なかったんでしょうけどね。


大凡の経緯は分かってきましたが、やはり「零」が何故いけないのか?
その肝心な理由は何も分かっていません。


 

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