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Re: とんでもないレアケース?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 5月10日(水)12時52分1秒
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  おお、かんじさん、いい地図ですね。
どこかで見た事あるなあ・・・
私も明治33年の当麻村の地図を見て、首を傾げていたところです。
何故傾げたかは後にして、

大正6年測図&昭和3年測図の愛別村1/25000の地図に目をこらしてみました。
いずれも旭川側から見て伊香牛の手前に二十二丁目~二十六丁目の記載が辛うじて読み取れます。
(閲覧サイトで直接見るともうちょっと判読しやすいです)

つまりこの時期の字名地番は、

  永山村番外零丁目・永山村零丁目~十五丁目  当麻村十六丁目~二十六丁目

であったわけですが、昭和11年の永山村の字名地番改正で、

  永山村番外零丁目・永山村零丁目~十五丁目  当麻村十六丁目~二十六丁目

     ↓        ↓    ↓       ↓     ↓

  旭川へ編入済み  永山村一丁目~十六丁目  当麻村十七丁目~二十七丁目

と変更された事にほぼ間違いないと思われます。
(各丁目道路名は変えておらず、区画の地番を1丁目ずつシフトしている)
現在のバス停の名称も、これが使われている事になります。

これらの事から、私はてっきり永山村は分村前に26丁目まであり、その字名を当麻村に引き継いだものと考えたのですが、
ところがどっこい、明治33年分村時の地図を見ると、それも自信がなくなりました。
かんじさんがUPされた地図を見てもそうですが、分村当時はほとんどまだ兵村区画のままです。
つまり永山兵村と当麻兵村以外の地域はまだ区画道路すら無く、もちろん〇〇丁目の記載もありません。
分村時、ほんとうに26丁目まで存在したのか?
ただ、市史によると、分村当初17丁目を村界とした、とあるので、区画はされてなくとも26丁目まで予定線引きされていたかもしれません。
さもなくば、分村後に新たに区画された地域にも関わらず、永山村続きの16丁目から26丁目の地番が振られた事になります。
これが零丁目を廃さなければならなかった理由と共に、私が首を傾げる理由です。

ちなみに、昭和3年以降はいきなり戦後まで測図が飛んでおり、この間の地図がないのが残念です。



PS:かんじさんが示されたのは永山通2丁目踏切(ヤマダ電器のところ)だと思います。
   中島街道踏切は現在の金星橋通りなのでちょっと場所が違います。

 

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