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Re: とんでもないレアケース?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 5月11日(木)20時56分52秒
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「上川郡明細図」の区画割りがおかしいと言っちゃいましたが、
石狩川対岸の鷹栖村の道路と対比したら、区画割りの辻褄はどうやら合ってるみたいです。

説明しますと、
対岸の師団用地の東端が近文六号道路なので、石狩川を挟んだ延長線上は永山一丁目道路という事になります。
同じく対岸の近文七号道路の延長が永山二丁目道路で、現在の環状線です。
つまり、かんじさんが一丁目と記している区画が実は零丁目です。

十丁目と記しているところは実は九丁目で、対岸は近文十三号道路、現在の北インターに接続する道路ですね。
ここは道路が他より太く描かれていますが、東・西兵村の中央に当たり、番外地として大隊本部や共用施設、民間店舗などが集約された区画です。

ですから区画割りは概ね間違ってはいないんですね。
要するに、全体的に描画の精度に欠けていますから、私もかんじさんも零丁目の区画を勘違いしたものと思われます。
たぶん目安となる天塩線のカーブに惑わされたのではないでしょうか?



零丁目の廃止についてですが、
永山の場合は結果として隣村当麻に跨る26丁目に渡って大規模に地番を変更するという大胆な手法を採ってますが、
時期は異なるものの、他地域でもことごとく「零」の名が消え去っています。
古くは旭川市街の零丁目もそうですし、かんじさんが最初に指摘された秩父別も然り、神楽町の零号、東神楽の零号、
たぶん他にもあるんじゃないかな。
ただ、比布などには「零線」に相当する「基線」の名は今でも残っています。

これらの事から私が想像するに、「零」の語は使うなという何らかの御上のお達しがあったんじゃないかな。
当時の北海道の土地管理は全て道庁が権限を握ってましたから、地元の自由にはならなかったはずです。

ただ、仮にそうだとしても、その理由が不明ですけどね。(~_~;)



 

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