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Re: とんでもないレアケース?

 投稿者:かんじ  投稿日:2017年 5月16日(火)16時28分10秒
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  momongaさんへ


> 要するに、0丁目道路を設ける意味は、区画の数と道路番号を合わせる意味合いがあるわけで、0丁目区画をつくっちゃうと意味がなくなるんですよね。
> 案外、当時の道庁はこの事を開拓が進む過程の中で気付いたのかもしれません。

途中で気付くほど当時のお役人がおバカには思えませんけどね(笑)
でも線(道路)が先にありきで、その名前を使って区画も表そうとしたようですね。
新旭川市史P172によると旭川市街では明治28年2月16日告示の字(あざ)の設定以降零は無くなったようです。
ただ、この呼称変更に関する文書は見つかっていないと書いてあります。


もう一つ中島街道に関する情報をほんの少し見つけました。
明治36年の小樽新聞に旭川に関する記事が載っており、その中に中島街道という言葉が出てきます。
要約すると、当時旭川には公園が無く、文化的な都市とするために大河内三千太郎、石川藤作という二人が公園作りを始めたような記事です。
その公園の場所が、中島街道より東方に100間の地であると書かれています。
この記事だけで場所を特定することは難しそうですけど。
それよりこの記事の内容が面白いです。
この公園が完成したのかどうかはわからないのですが、構想では理想的楽園とあり、射的場、大弓場、西洋料理店、パノラマ場、物産陳列場を設けてみんなに見せて上川を紹介したいとなっています。
凄いです。今のテーマパークです。
こんな事が明治にあったんですね。

注:この新聞記事は中央図書館の司書さんに探していただきました。

http://i.imgur.com/1JnnQM3.jpg

文中に「臼別地方」という言葉が出てきますが、どこなんでしょうね?

【追記】させて頂きます。
このこの新聞記事は明治36年という事ですが、36年というと師団が出来て一気に賑わいが湧きあがった頃でしょうか。
とはいえ中心市街地以外はまだまだ未開でしょう。
そんな頃に近い地図といえば明治41年のものがありますが、それをみても中島街道踏切付近にあたる所には中島街道らしき道路は有りません。
永山村に区画線は引かれていますが、実際にあった道は新師団道路と天塩道だけだったと思います。
なので新聞に出てくる中島街道が現在の踏切に書いてある中島街道と同じものである可能性にも疑いがあります。

さらに、大正7年の結構正確な地図を見ても、当該の中島街道踏切の場所に道路は見当たりません。
現在の中島街道踏切なるものは、意外と新しいのかも知れませんねェ。

 

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