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幻の中島街道

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 5月21日(日)18時27分27秒
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  さて、しばらく零丁目の謎と永山の地番変更に話題を振られていましたが、(自分が勝手にそうした?^^;)
唯一踏切にだけその名が残る”幻の中島街道”の存在を追ってみました。

かんじさんが見つけてくれた新聞記事によれば、少なくとも明治30年代には実際に中島街道が存在していたのは確かです。
いったいどの道路を指し、どこへ消えてしまったのか?
縮尺が苦しいながらも、正確性では信頼のおける国土地理院の1/50000、1/25000地図を元に解析してみました。


明治42年1/50000地図 → 永山村字牛別付近(後の新旭川地区)に、
             北見道路・天塩線(宗谷線)と直角交差し、石狩川手前で90度屈曲して牛朱別川・中島に至る道路らしき線が描かれている。

大正5年1/25000地図  → 縮尺が上がって、明らかに同じ位置に道路が描かれている。
             他に該当する道路が見当たらない事から、これが中島街道と思われる。
             中島と反対側の端は番外零丁目道路にV字の形で合流している。

昭和3年1/25000地図  → 石北線が開通し、新旭川駅によってこの道路は分断されてしまっている。
             それに代わって駅に隣接して新たな踏切と道路ができている。(2代目中島街道踏切?)

昭和25年航空写真   → パルプ工場ができて、永山通り(現大雪通り)の東側は道路が消滅しているが、
             新旭川駅~中島(遊郭)の道路はまだそのまま残っている。

現在のGoogleEarth  → 金星橋付近の斜め部分の道路が区画整理によって消滅している。
             昭和25年の航空写真で金星橋通りはクランクの形で2代目中島街道踏切を渡っていたが、
             真っ直ぐ国道39号線に接続させるため現在の位置に踏切が変更されている。(3代目中島街道踏切?)


これらの事から、中島街道は新旭川駅ができた大正11年の時点で北見道路と分断されて街道としての存在価値を失ったものの、
2度に渡って移設された踏切にその名前だけが残ったのではないでしょうか。
つまり、現在の中島街道踏切は場所を移動した3代目という事になります。

最初は、新旭川駅の正面の通り(現永隆橋通り)がそうかな?と思いましたが、
昭和25年の航空写真から、どうやらその1本隣の細い道路が中島街道のようです。


 

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