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十勝線

 投稿者:かんじ  投稿日:2017年 6月28日(水)11時18分3秒
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  そういえば、踏切調査ですが先日美瑛に行ったときに少しだけ富良野線の踏切名を見てみました。

ははーーーん、ですね。富良野線の踏切名は「神楽町○号踏切」でした。
西御料地のあの辺りは大正期の地図を見ると零号に始まって15号まで地図には載っています。
そしてバス停名も市内は新しいバス停になっていますが、西神楽の方は全て「○号」というバス停名でした。
以前からつまらないバス停の名前だなとは思っていたのですが、訳が分かってくるとなるほどねーという感じです。
バス停は17号くらいまではあったように思うのですが。

つまり踏切名といい、バス停名といい、永山の宗谷線沿線とほぼ同じ関係性になっていました。
明治30年に旭川まで鉄道が開通し、その後宗谷線、富良野線とも延伸になったと思いますが、
ほぼ同時期の地名と線路の関係はほぼ同じ規則性をもっていたという事です。

ちょっと不思議なのは、線路が敷設され踏切が設置された時期なんですけど、この頃は永山、神楽ともに「村」だったと思うのですよね。
しかし現在の踏切名は「永山町○丁目踏切」「神楽町○号踏切」です。
この辺りの町村名変更に伴う踏切名の変更があったのか、それとも遮断機や警報機が付いて
踏切管理の必要性があった時には村から町に変わっていたのか、その辺りは良くわかりません。

PS.
当時は天塩線、十勝線でしたね。
 

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