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Re: ウィキペディア

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 8月 3日(木)22時26分36秒
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  かんじさん、さっそくの評価ありがとうございます。

でもって、私のこの問題に関するスタンスを今一つ分かって頂けてない様なのがちょっと残念かな・・・。
それと、けっして私の自説だけでない事だけは明言しておきたいと思います。そのために参照文献等を明示しています。
本当は、永田方正の誤訳や矛盾についても触れたかったのですが、
文章があまりに長くなってしまうのと、それこそ自分の主張色が強くなり過ぎるかなと思い自粛しました。
かんじさんの疑問は当然なのですが、私が思うに、チュプペッ意訳から遡ろうとするが故の疑問ばかりではないでしょうか。
私は逆です。
ここでちょっと補足しますね。


結論から言いますと、
「旭川」の名が先にあったのです。(由来が旭日旗かどうかは推測の域になります)

この事は、永田方正が上川の調査に赴く直前の明治23年2月9日付の北海道毎日新聞に旭川の名が登場していますから説ではなく事実です。
しかもその由来としているチュプペッ意訳が”その後”の永田方正の蝦夷語地名解に載った意訳そのものです。
でもって、これを新聞発表したのが永山武四郎の直属部下で、永田方正とも親交のあった岡部方幾曹長(屯田司令部付)です。
つまり、永田方正の調査とチュプペッ意訳は完全に出来レースであったという事なのです。

後年のアイヌ語学者が、永田方正の解釈は誤りだと指摘するのはある意味当然の事です。
要するに、永田方正が現地調査する前に創作された、旭川の名を導くための意訳だった訳ですから。
永山武四郎が知っていたか?どころか、永田方正はおそらく彼の意を受けてアイヌ語意訳を創作する協力をしたのだと思います。
何度も上川入りして現地に詳しかったのは永山武四郎の方ですしね。

ですから9月の開村時の新聞記事に同じ意訳が載るのは別に不思議でも何でもないのです。
2月の時点で既に新聞発表してる訳ですし、それを表向き”公式見解”としたのだと思います。
ただ、2月の新聞記事では『旧称の意義を存し且つ大日本帝国等の意味に縁あり』と、ちょっとだけ匂わせていますけどね。

問題は、なぜそんな遠慮をする必要があったのか?ですよね。
これはもう、永山武四郎がそういう人だったとしか言いようがありません。
道庁内で、道内各地の和名命名に関して、極力元々のアイヌ地名を尊重するように、との趣旨の内訓を出すくらいの人ですから。
たぶん、自分でそう言っておきながら自らの命名を大っぴらに出すわけには行かなかったのではないでしょうか。

じゃあ「旭川」の名はどこから持って来たのか?
もしアイヌ語に関係ないとすれば、まず私の頭に浮かぶのは「旭日」しかないのですが、かんじさんはいかがでしょう?

この辺りに触れているのが当サイトの、[「日の出」は実はパクリ?] です。
http://ron-asahikawa.la.coocan.jp/nazo/pakuri.html
今一度まじまじと見て頂ければ幸いです。m(__)m


 

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