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Re: ウィキペディア

 投稿者:momongaメール  投稿日:2017年 8月 8日(火)12時51分35秒
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  かんじさんへ

先のレスでも言いましたように、確かに由来が「旭日旗」かどうかはあくまで推測の域です。

おっしゃる通り、日本は聖徳太子の時代から「日出づる国」を自称してますから、「日の出」は正に日本国の象徴ですよね。
で、それを具現化したのが日章旗・旭日旗・旭日章・・・であり、いずれもルーツはそこにあります。
天皇家の16弁の菊の紋章も無縁ではありません。
ですから「旭」あるいは「旭日」の文字に日本を象徴する意味合いがあるというのは全くその通りだと思います。

ところが、富国強兵の時代これらは軍の象徴にすり替わってしまった一面があります。
つまり、「旭」「旭日」=大日本帝国の象徴=日本軍の象徴 です。
軍人であった永山武四郎が、命名しようとする村名に大日本帝国を意識したとして、身近にあった軍旗・旭日旗からその発想を得たとしても不思議ではないと思います。
何かそういうきっかけがなければ、いきなり「旭」の文字は出て来ないと思うんですね。
『大日本帝国等の意味に縁あり』の”等”とあるのは、帝国陸軍をも意味している気がします。

ただし私の自論は、厳密には「旭日旗を見て旭を発想」ではなく「旭日旗を連想して旭を発想」なんです。
視察や要人案内の度に幾度も登った近文山からの正面に燦然と輝く太陽を見て旭日旗を連想し、そこから「旭日の川」「旭川」を発想・・
まあ、この辺りは好きに”妄想”させて下さい。(^^ゞ


いずれにしても、旭川の名が誕生した時点ではアイヌ語はもちろん、忠別川すら関係ありません。
当然の事ながら、まだ一度も上川へ行った事のない永田方正に、いくら創作とはいえそれらしき根拠のある意訳は創れません。
永山武四郎や岡部方幾から上川の状況をつぶさに聞き取り、御料予定地を流れる忠別川にスポットが当てられ、件のアイヌ語意訳が創作されたのだと思います。
ですから川の語源に現実とは乖離した部分があり、その意訳も後年のアイヌ語学者の批判を浴びる事となるのです。

ちなみに、2月8日の岡部方幾の発表があった当日、実は永山武四郎は上川離宮造営場所調査のため上川へ出発しているのです。
この調査で離宮の建設場所を正式に上川郡字ナエオサニ(神楽岡)に決定する訳ですが、
永田方正の樺戸・空知・上川の3郡調査はさらにその後の3月であり、離宮の名前も場所も決定した後という事になり、如何にも後付けの感があります。

私は、何故この矛盾に誰も気が付かないのか不思議でなりません。



 

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