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気付いたこと

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 4月 5日(火)22時04分26秒
返信・引用
  >かんじさん

今日近くを通ったので、8・9条10丁目付近をちょっと探索して来ました。

まず、びっくりぽんだったのが、
あの八条市場の中では、今でも豆腐屋さんが一軒だけ営業してるんですねー、驚きました。
かんじさんに尋ねられて、古い地図と現在の地図を見比べていたら豆腐屋さんの名前が載ってるのでもしかしたらと思ったんですが、やっぱりでした。

今までは永隆橋通りを通る度に車から見ていただけだったのですが、
正面からはどう見ても市場は閉鎖されてて住居として使われてるっぽく、勝手に入って行ける雰囲気じゃないですよね。
そこで今日は最初から裏へ回ってみたところ、何と裏口が開いていて通路越しに向こう正面まで見通せるではありませんか。
中は暗かったですが、オープンスペースっぽいのでとりあえず突入。
古いガラス窓で通路と仕切られた豆腐屋さんが確かにありましたが、店舗と言うより製造所みたいですね。
いつからある豆腐屋さんなのか知りたかったですが、誰も見当たりません。
他の店舗跡は全て塞がれていて、やはり住居として使われてるようでした。
(永隆橋通り路面のSumi Kitchenというのは何屋さんか不明)
でも通路内には懐かしい「フルヤのキャラメル」の看板なんかが残っていたので、昔は駄菓子屋なんかも入ってたのかな。
裏口の脇にも「壽みそ」「塩」など昔の看板が残されていましたが、これら看板類は戦後の物っぽいですね。
いかんせん人が誰もいなくて、これ以上何も情報が得られませんでした。
勝手に入って良かったのかどうかすら不明です。^^;


あと、この市場の裏手に一軒だけかなり古い建物が残ってますね。
https://www.google.co.jp/maps/@43.772694,142.367477,3a,51.5y,56.31h,93.31t/data=!3m6!1e1!3m4!1soKV6zv9aoXjaSKApnj9bHA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
https://www.google.co.jp/maps/@43.7728955,142.3676049,3a,48.8y,166.83h,92.8t/data=!3m6!1e1!3m4!1sgah4FAXE9jSrD9cI7fyfuQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

市場の存在もそうですが、道路の狭さといい、このような建物が残ってる事といい、この区画にはやはり何らかの歴史が漂います。


それともう一つ気付いたことが、
YAHOO地図にはこの近辺の地番が記載されてるんですよね。

先のレスの通り、この辺り一帯(6条~旧牛朱別川までの10~14丁目)は測候所と営林區署を除いて元々が上川農業試作場で、
たぶん新設の上川中学の校舎を建てるために農試を永山へ移転したのだと思いますが、
その時に、13~14丁目は民間に払下げられ、6条~旧牛朱別川の10~12丁目が中学校の敷地になったのだと思われます。
(やはり測候所と営林區署は除く)

でもって、YAHOO地図の地番を見渡しますと、
現在でも2191で始まる地番は、全てこの時の上川中学校の敷地と合致してるように思えます。
という事は、かんじさん指摘の区画も、当時の中学校の敷地全体に割り当てられた地番の内の一つで、
新設された中学校の教職員住宅用の区画だったような気もしますが、この推測はいかがでしょう?


 

>ふくすけさん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 4月 5日(火)00時48分14秒
返信・引用
  4年目の返信ありがとうございます。^^;
忘れずに当掲示板ロムしていただいていた事、感謝いたします。

開拓期の旭川は陸の孤島のようなものだったと思います。
鉄道が開通するまでは、上川道路の馬車道一本が唯一の輸送手段であり、できる限り自給自足で賄う事が急務でした。
そんな状況の中、日本人の食生活に欠かせない味噌・醤油などの醸造品は、旭川において最も早く発生した製造業の一つです。
ふくすけさんの先代の方もその一人だったのでしょうね。

古くからご商売をされてた家には、何かと古いものが残されている事も多いかと思います。
今後とも、もし何か情報がありましたら是非ともお知らせ下さい。

 

Re: はじめまして

 投稿者:ふくすけメール  投稿日:2016年 4月 4日(月)11時14分58秒
返信・引用
  お久しぶりです。
以前(2012年 7月30日)、一度書き込みをさせて頂いたふくすけと申します。
返信が遅くなってしまい本当に申し訳ありませんが、あれから少しずつ調べて分かったことをご報告したいと思います。

> こんにちは初めまして。
> 私は旭川近郊在住のふくすけと申します。
> 生まれも育ちも旭川ですが、郷土の歴史などに興味を抱く事もなく30年以上過ごして来ました。
> ところが最近になって、先人の方々が歩んで来た道やふるさとの歴史に興味が湧き始め、色々と調べているうちにmomongaさんのサイトへ辿り着きました。
> 論旭川のコンテンツのすべてに大変感銘を受け、特に「日の出づる川」のウソで述べられておられます旭川の名前の由来についての論説には驚きすら感じました。
> このような素晴らしいサイトと、こちらの掲示板での皆さんの貴重なお話を拝見させて頂ける事は私にとって大変貴重で喜ばしいことです。ありがとうございます。
>
> 余談ですが、私の父方の祖先は明治時代に移住し戦後まで味噌や醤油を作る醸造所?を営んでいたそうで、母方は屯田兵として明治25年に入植、曾祖父や祖父達が存命の間に何故もっと話を聞いておかなかったか・・・後悔しっぱなしです。
>
> ただ、終戦当時は女学校に通っていたという昭和3年生まれの父方の祖母がまだ元気で存命ですので、軍人勅諭の色について何か記憶がないかどうか聞いてみたいと思います。

まず、今さらではありますが、存命の祖母に旭橋に掲げてあった軍人勅諭について聞いてみましたところ、あったような覚えはあるが色の記憶はすっかりなくしてしまったとの事でした。申し訳ありません。

また、父方の家は精米と味噌や醤油の醸造を行っており、マルセという屋号だったそうです。名門とまではいかないかもしれませんが、当時の商工会議所の役員に高祖父の名前を見つけることができました。

それから、祖父母の家には古いアルバムが数冊あり、それを拝借してゆっくり見てみました。最古の写真は恐らく明治後期から大正初期で、戦後の時代まで、主に家族だと思われる人々が主体ですが、所々に当時の街並みなどが写っており非常に興味深いものです。
ただ、一度火事を起こしてしまい、焼け残った一部だということなので、本当はもっと沢山写真があったはずなのが悔やまれます。

旭橋だと思われる写真もあるのですが、残念ながら問題の部分は写っておりませんでした。
(写っていてもモノクロなのでお役には立てませんね)

これからも、少しずつ、我が家と旭川の歩んで来た道のりを辿ってみたいと考えておりますが、そんな私にとって、この掲示板での皆さんの議論は本当に貴重で、大変ありがたく思っております。

これからもちょくちょくお邪魔させて頂きたいと思っていますのでどうぞ宜しくお願い致します。
 

Re: 明治43年旭川明細全図

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 4月 1日(金)15時29分19秒
返信・引用
  > No.1180[元記事へ]

momongaさんへ

> かんじさん、面白いものを見つけましたね!
> 私もこの時代のこんな詳しい地番入り住所地図ははじめて見ました。
ですよね。
私は地図が好きでいろいろ探すのですが、以前は無かったと思います。
最近、図書館もネット上にデータの公開を進めているようなので、その中から出てきたのだと思います。

> つまり今で言う公務員住宅団地ですね。
> 一部は民間にも払い下げられ、利便施設としての民間市場が設けられた・・・
なるほど、公務員が集まってそこに市場が出来るんでしょうね。

そういえば、年代がわかって土地の地番までわかれば、登記簿から持ち主はわかりますね。
名前が解ってもそれ以上何がわかるのかはわかりませんが、今度調べてみます。
 

Re: 明治43年旭川明細全図

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月31日(木)18時11分41秒
返信・引用
  かんじさん、面白いものを見つけましたね!
私もこの時代のこんな詳しい地番入り住所地図ははじめて見ました。

でもって、実は私も前からこの古い市場が気になってたんですよ。
https://www.google.co.jp/maps/@43.772421,142.3664787,3a,75y,89.29h,96.69t/data=!3m6!1e1!3m4!1sICnShdjpiz2wmE9_LghEjA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

大正時代建築の銀座通り第一市場にも匹敵しそうな古さ加減ですよね。
なんでこんな場所にこんな古い市場がポツンとあるんだろう?
まさにこの辺りがご質問の場所かと思います。

この辺り一帯は明治41年まで全て広ーい農事試作場と測候所があっただけで、公有地なので少なくとも一般人は住めなかったはずです。
農事試作場が永山へ移転したため、跡地に地図にも載っている上川中学や営林區署ができ、すぐ隣には高等小学校もできました。
で、まず考えられるのが、場所的にこれら役所や学校の官舎住宅がこの一画に集約して建てられたのでは?ということです。
つまり今で言う公務員住宅団地ですね。
一部は民間にも払い下げられ、利便施設としての民間市場が設けられた・・・

あくまで推測に過ぎませんが、私が思いつくのはそんなところです。

 

Re: 市役所の老朽化?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月31日(木)15時20分1秒
返信・引用
  そういえば・・・

私としたことがうっかりしてましたが、
↓旧北鎮兵事記念館だって昭和10年(1935年)の建築ですから、80年以上経ってる訳ですよね。
http://homepage2.nifty.com/momonga_farm/gunto/pichtml/kinenkan1.html

1990年に改修工事を行なってるようですが、たぶん屋根や外壁等だけだと思います。
昨年、国の登録有形文化財に指定されましたよね。
 

明治43年旭川明細全図

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 3月31日(木)15時06分43秒
返信・引用
  旭川の歴史に詳しいmomongaさんに質問です。
実は最近、図書館の地図で明治43年の「旭川明細全図」という地図を見つけました。
かなり詳細なもので資料として一級品です。
その地図を見ながらの質問なんです。
http://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/dsearch/da/detail.php?libno=53&data_id=2-30462-0
その地図では町の区割りといいますか、地番のようなものも書かれています。
中心部は一区画が10に割られており、○○条通り○丁目左○号という昔の住所に沿った書き方になっています。
明治43年というと馬車鉄道が走っており、第七師団も出来上がり日露戦争後の第一次世界大戦前という時代ですね。
駅前に人が大勢住み、中心部に官庁があつまり上の方に共有地が広がっています。
注目したのは測候所、営林區署の上に住所が付いています。
もう一か所9条通り15丁目辺りにも住所が付いています。
私のこれまでの経験から、こういった場所にはかなり前から人が住んでいたと思われます。15丁目は新師団道路と書かれていますので、ここを通って旭川市街に入ってきた多分兵隊さん相手にした商売をしていた人が住んでいたのかなぁ。なんて想像はするのですが、良くわかりません。
そしてもう一か所の8条9条の10丁目辺りの番地が2191-2から2191-10までの地番がふられています。
現在のNTTがある辺りかと思いますが、ここにも既に人が住んでいたと思われます。
その為現在でも8条通りはこの辺りで通っていないんですよね。
質問が最後になってしまいましたが、明治43年当時この住所の付いているあたりはどんな様子だったのでしょうか?
この地図は他にも面白い部分があって見飽きないです。
 

市役所の老朽化?

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 3月31日(木)14時24分50秒
返信・引用
  掲示板がなかなかの盛況ぶりですね。
ちょっと私が入りにくい話題で寂しく見ています(^^;
さて少し前に市役所が老朽化しているってことは無いのではないかという、長文を書いたことがありましたが、昨日の道新に興味深い記事がありましたので紹介します。
それは30日付けの北海道新聞29面に札幌の資料館かいわいを紹介したものですが、資料館よりももっと古い現役の建物として南1西13丁目の三誠ビルが紹介されています。
http://sapporo-jouhoukan.jp/sapporo-siryoukan/bunkaisan/017.html
いまも現役で使われているこの建物、建設年はなんと大正13年です。
鉄筋コンクリート3階建ての建てものは築92年という事になります。
築92年の鉄筋コンクリート建物を目の前にして、昭和30年代の建物を簡単に老朽化と呼ぶことが出来るのでしょうか。
確かに旭川市庁舎は耐震基準を満たしていないため、対策が必要です。
対策が必要なのは耐震の為であって老朽化の為ではありません。
まるで見当違いに聞こえるかもしれませんが、メンテナンスさえ行えばまだまだ十分に使える建築物を「老朽化」といって壊してしまうのは、まるで飼い犬や猫を「年を取ったので捨ててしまえ」といっているようにも感じるのです。
まして優れたデザイン性をもつ旭川市役所を老朽化と言い放つ事には強い憤りを覚えるものです。
仮に新市庁舎を建てるのであれば、鉄筋コンクリートの建物は100年以上もつという事を前提にして、公共建築物は作っていただきたい。
優れた意匠を持つ物であればなおの事長く残してゆこうと思うはずです。
だからつまらないデザインの50年で取り壊されるようなものは作るなと言いたいです。
ps.
知らないという人も多いだろうと思うのですが、市役所の斜め前にひっそりと建つ、地味なNTTの6階建ての鉄筋コンクリートのビルは市役所よりももっと古いビルなんですよ。

 

>クリオネさん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月31日(木)11時38分6秒
返信・引用
  ひっそりと書き込まれていたのでレスを忘れてました。(笑)

書店で扱ってるような、いわゆる市販の単行本で開村前後に詳しく触れている本はないと思います。
それこそ「旭川市史」になってしまいます。
図書館(閉架)や古本屋さんへ行けば昔刊行された郷土史関連の本が若干ありますが、
ほどんどの場合この「旭川市史」がベースになっています。
概要を知りたいのであれば、昭和45年に旭川市が発刊した「旭川80年のあゆみ」は、旭川市史を簡潔にまとめたもので読みやすいですよ。
あと、私が感銘を受けたのが、やはり故松井恒幸氏の「”旭川”地名についての考察」です。
これは本ではなく研究報告書ですが、中央図書館へ行けばコピーしてくれます。

突っ込んだ郷土史を知りたいならば、あとはただひたすら自分での資料探しみたいなもので、それが楽しいんですよ。
 

>五黄の虎さん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月31日(木)10時56分24秒
返信・引用
  ドン・キホーテは以前からエクスなど中心街ビルへの出店が取り沙汰されていますが、
私は旭川駅東口向かいの高架下がぴったしだと思います。

あそこをアメ横のような場所にできたら、というのが以前からの私の持論です。
http://9008.teacup.com/momonga_farm/bbs/1001

 

西武

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月31日(木)10時09分29秒
返信・引用
  オクノにドン・キホーテが出店する方向で進んでいましたが、契約寸前で白紙撤回。

ドン・キホーテは、西武のA館に出店する交渉をはじめているようです。

B館が、パチンコ店ならないよう祈っています。
 

皆さん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月31日(木)00時08分45秒
返信・引用
  活発な書き込みありがとうございます。
普段、まったりとしている当掲示板が何やらいきなり活気づいてまいりました。(笑)
時節柄、やはり新幹線ネタが多いですね。


在札幌の政財界の人々のこれまでの話を聞く限り、
北海道新幹線というのはあくまで”札幌新幹線”であり、今回の新函館北斗までの開通はその中途過程に過ぎず、
まして旭川延伸なんて心の隅にも置いてないよ、といった印象です。
都市規模から言ってまずは札幌までというのは当然の事だと思いますが、
どこか「札幌にさえ繋がればもうそれでいい」といった論調が感じられます。
北海道新幹線というのは、実は旭川までが基本計画路線に指定されており、旭川が終点なんですけどね。

私も五黄の虎さんが言われたように、今回高橋知事が思い出したように言い出した旭川延伸は、
開通のドンチャン騒ぎの中でどこか蚊帳の外になってる旭川へのリップサービスのような気がします。
ま、どんな形であれ、もし旭川まで延伸されたとしても私はそれまで生きている自信はありませんけど。(笑)



気になる報道がありましたのでもう一つ。
西川市長と経済人代表が、西武存続のための陳情を行なったとの事ですが、
『何とか旭川店を存続してほしい』『存続を要望している段階でその先を考えるのはおかしな話』という旨の報道がありました。
という事は、撤退までわずか半年しかないのに撤退後の方策をそれまで何も講じないという事になります。

既に決定した企業方針をひっくり返すだけの自信があるなら別です。
撤退を踏み留まらせるだけの何らかの提案を今回の陳情に携えて行ったのでしょうか?
いつものような『旭川市としてできる限りの協力を惜しまない』程度の提案では、聞く耳もってもらえないのは明らかです。
今回は、前回のような丸井今井の撤退劇はないのですから。

現状維持にかじりついていては、それだけ撤退後の対策を遅らせるだけです。
今、西武サイドと交渉すべきなのは、
百貨店事業は撤退したとしても、駅前のあの巨大な建物を空家にしないために、
業態を変えてでも西武側(セブン&アイホールディングス)の協力を取り付ける事ではないでしょうか。


 

官依存

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月30日(水)15時45分18秒
返信・引用 編集済
  momonga様

官依存で生きているのは、土木建築関連産業くらいで、一般の市民には空気のように上水道、下水道、道路、学校、社会保険、年金などが存在しています。日本では。

しかし、民間でも東芝、シャープのようにリーダーの判断ミスで危機に陥るように、国も自治体もリーダーの資質で全く違う結果が現出するのだと思います。

西武の存在が欠かせないと考えていたなら、西武のトップと普段から人間関係をつくり、年に一度や二度は会食をするとかして、相手の本音をおさえておくべきです。

西武の意向も確認せず、西武の前に駐車場、駐輪場をつくったり、九億円もかけてキャノピーをつくってあげたり片思いでした。

市長の仕事は、旭川市のグランドデザインをつくって市民のコンセンサス得て、それに沿って街づくりをすることだと思います。

どっちに向かうのか西川市長の考えがわからないのです。

買物公園のりニューワルに確か30億円以上のお金が費やされ、大理石を張りつめました。

しかし、銀座通りの惨状をどうご覧になりますか。せめて、電線の地中化くらいしてあげてほしいと市長に二回くらい話しています。

余りにも不満が堪っていてその一部を思うままに吐き出してしまいましたがお許しください。
 

(無題)

 投稿者:クリオネ  投稿日:2016年 3月30日(水)11時21分46秒
返信・引用
  こんにちは。
お返事有難うございます。
>旭川の開村前夜は面白いですよ
何か分かるような本などありますでしょうか?
 

ミニ新幹線

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月30日(水)11時19分42秒
返信・引用
  永遠の旅人さん

私もあなたの提案に大賛成です。現在踏切の問題もあるのでしょうか。130Kmで運行して

いるようですが、10年も経てば150Kmも夢ではないでしょう。

しかし、永遠の旅人さんの鉄道に関する知識は半端じゃないですね。


 

Re: 新幹線

 投稿者:永遠の旅人メール  投稿日:2016年 3月29日(火)23時43分48秒
返信・引用
  五黄の虎さん
返信ありがとうございます。
高橋知事の話はもちろん存じ上げております。
旭川まで新幹線が来ればいいなと私も思います。
ただしフル規格はもちろんのことフリーゲージ規格も難しいのではないかと思います。
そこで秋田・山形新幹線のようなミニ新幹線がいいのではないかと思うのです。
既に実績があり、新しい技術がいらないので地元旭川と北海道知事のヤル気さえあれば札幌と同時開業も夢ではありません。
秋田新幹線は田沢湖線という急勾配、急カーブが連続する在来線を広軌(新幹線と同じ幅のレール)で整備したため、制限速度が60km/h程度の場所もあり、盛岡からの所要時間は距離が遠い新青森よりも長くなりますが、乗り換えなく東京や仙台に行ける利便性から乗車率はかなり高い状態をキープしています。
旭川~札幌の函館本線は線形や勾配が緩く、秋田・山形新幹線に比べてスピードアップが図れます。
札幌への所要時間はほとんどスーパーカムイと変わらないでしょうが、東京のみならず函館や東北、北関東の各都市に乗り換えなく行けるようになるとビジネスチャンスは広がります。(現状は新函館北斗発着の新幹線は福島県と栃木県に停車しないので乗り換えなしという訳には参りませんが…)
 

新幹線

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月29日(火)14時00分36秒
返信・引用 編集済
  永遠の旅人さん

山形新幹線(通称)件はご指摘のとうりでした。ありがとうございます。

しかし、高橋知事の発言は事実です。

旭川市民へのリップサービスかもしれませんが......
 

Re: 京四郎さん

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2016年 3月29日(火)12時50分56秒
返信・引用
  momongaさんへ

あまりここでは関係の無い話としてこの話題は避けておりましたが~

> さすがに旭山まで新幹線とは考えませんが、電気軌道が復活したらなぁ、くらいは考えますよ。
> せっかく四方に延びるJR軌道があるのだから、これを生かしたいなぁ、とも常々思ってます。

旭山動物園の最寄り駅は「北日ノ出」で次に近いのが「桜岡」になります
どちらにしても徒歩圏とは言い難い駅なのでそこからバスを出すようにしなくてはなりません

> そういった想いって、郷土を盛り上げる為にはすごく大事じゃないかな・・・

旭川には立派な空港(東神楽ですが)があるのですがココも最寄り駅は「西聖和」で徒歩圏とは思えない距離
空港直結の線路を引き直す方が良いのではと考えています

一時期そんな話題もあったりしましたが現実になる事無くお蔵入りになったのでしょう

あくまでも在来線は旭川~富良野を結ぶ路線として残し、新たに旭川~空港~旭山~桜岡に出る「空港線」を結ぶ事により札幌圏からはもとより、本州からのお客様も直結、さらには道東圏からの集客が見込まれる線路になるのでは?と考えます

新幹線が札幌まで伸びるのが2030年、その先は伸びることなく一極集中になってしまう気がします

寂れゆく旭川を想像したくないし、そうならないためにも旭川の歴史を活かしていかなければと考えます




 

Momongaさん

 投稿者:京四郎  投稿日:2016年 3月29日(火)10時33分11秒
返信・引用
  お返事ありがとうございます。

新幹線のことは詳しくないのですが、やはりインパクトとして「新旭川駅」とかよりも「動物園駅」という名称は捨てがたい気がします。

名前だけ動物園駅にして、実際は山の麓の辺りに設置し、駅から動物園の門までバスか何かを繋げばどうでしょうかね。開発が進んで自然が破壊されると、地元民としてはちょっと悲しくなりますが。。

横やりですが、土日のフィールはご存知ですか?僕は子供を連れてフィールのモリモリパークに行くのですが、土日は半端じゃなく人が集結してとんでもないことになってますよ。旭川はシングルマザーも多いようなので、この手の子供向けの無料施設を市が展開するのは、人集めには非常に効果的だと思います。

大学の教授が言うには、駅前をビジネス街に作り替えた方がいいそうですね。
 

なかなか厳しいかも?

 投稿者:永遠の旅人メール  投稿日:2016年 3月29日(火)00時30分47秒
返信・引用
  momongaさん
返信ありがとうございます。
旭川駅前は末期的な状態ではない。
私も少なくともイオンモールが出店を決めた段階ではそう思っておりました。
しかし最近旭川を訪ねる機会があり、買物公園を歩いて見た感想はイオンモール独り勝ち。西武は閑散、フィールもテナントが抜け、マルカツ、オクノに至ってはワンフロアがまるっと閉鎖。エクスだって1階にツルハとラオックスが入るのみ。
買物公園も以前は四条以北の問題だった空き店舗が二条や三条でも目立ってきました。
人口減少に可処分所得減少という環境下に加え、イオンモール一つで西武とフィールの売場面積を上回るのですから無理もないでしょう。
安易に西武跡に市役所移転という訳ではありませんが、ちょうど市役所新築のタイミングでもあり、新築となれば財政負担も少なくないわけです。
市役所には毎日職員と来訪者が訪れ、しかも駐車場が少ない事が幸いし、通勤する職員や来訪者がJRや路線バスを使う事で地域経済と環境保護にも寄与するのではないでしょうか。
あと、旭川は同規模の都市と比べて中心部にマンションが少ないですよね。
まずは都心部の人口を増やす事に注力すべきかと思います。

五黄の虎さん
恐れ入りますが、山形や秋田新幹線はフリーゲージトレインではありません。
在来線のトンネルに合わせて車体を小型化していますが、レール幅は新幹線と同じ広軌のため東北新幹線からそのまま乗り入れる事が可能です。
フリーゲージトレインは長崎新幹線で佐賀県内の狭軌区間(在来線)を通過するために導入が検討されていますが、今のところ技術的に確立されていません。
積雪の多い北海道ではかなり困難だと言わざるを得ません。

 

(無題)

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月28日(月)14時33分9秒
返信・引用
  新幹線に関しては、高橋知事が旭川までの延伸を何度も発言しています。
山形方式のフリーゲージトレインです。札幌で広軌のゲージを狭軌に切り替えて在来線を新幹線が走るのです。(道新3月26日朝刊2面)
どのような結果になるか想像つきませんが、ターミナル効果はあるのではないでしょうか。
 

Re: 京四郎さん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月27日(日)23時24分31秒
返信・引用
  はじめてかと思いますが、投稿ありがとうございます。

私も旭川に関して色々と妄想する人間です。
そこはまあ、この掲示板の過去を見ていただければ分かっていただけるかと思いますが(笑)
さすがに旭山まで新幹線とは考えませんが、電気軌道が復活したらなぁ、くらいは考えますよ。
せっかく四方に延びるJR軌道があるのだから、これを生かしたいなぁ、とも常々思ってます。

そういった想いって、郷土を盛り上げる為にはすごく大事じゃないかな・・・

 

Re: お久しぶりです

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月27日(日)22時55分15秒
返信・引用
  永遠の旅人さん、お久しぶりです。

先に書き込んだ通り、私は民間の商業活動に必要以上に市が関与するのは筋違いだと考えています。
郊外大型店への流出や中心商店街・百貨店の衰退は全国的な時代の流れだし、これらに対し自治体が全て何とかしろと言うのも酷な話です。
まして、現時点で100億以上の商業需要を有している駅前一等地に何故わざわざ市役所機能を据えなければならないのでしょう?
それをやるとすればいよいよ民間需要が無くなった時の末期的症状ではないでしょうか。
旭川はまだそこまで行ってないように思います。

例えばパスポートセンターのような窓口業務を、あくまで市民の利便性を目的に設けるのなら分かります。
それは利便性と民間補助の一石二鳥かと思います。
が、何よりも今、市が考えなくてはならないのは駅前の一等地を商業地として保全する環境づくりではないでしょうか。

公有スペースとしての買物公園を旭川の「顔」として位置付ける限りそれは急務かと思います。
そのためにはまずは行政として戦略的な企画があるべきですが、どうもそれが全く感じられないのが残念ですね。


 

Re: 初めまして

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月27日(日)22時46分29秒
返信・引用
  クリオネさん、はじめまして。
当サイトへのご訪問ありがとうございます。

私が旭川の地名由来や歴史に興味を持ったきっかけも、まさにクリオネさんと同じ理由からです。
地名のアイヌ語意訳には全くと言って良いほど説得力も何も感じませんでした。
詳しく調べて行くと大きな矛盾もあります。
旭川・永山・神居・神楽など、この地に付けられた地名は、実は考える必要など無いほどその漢字を見れば明らかなのです。

クリオネさんも興味を持たれたならば、是非ご自分なりに研究を深められることをお勧めします。
旭川の開村前夜は面白いですよ。

 

(無題)

 投稿者:京四郎  投稿日:2016年 3月26日(土)22時51分9秒
返信・引用
  海外の観光客が増えている間は、西武の跡地だってルートイングランデみたいにホテルを建てれば活性化に役立つでしょう。

東北の震災のような出来事があれば、今度こそ旭川が防災面で極めて優れていることを全国にPRして欲しいですね。泊原発がメルトダウンすれば、まず札幌はおしまいです(旭川経済も一緒に打撃を受けるでしょうが)。

個人的には、南永山駅をパワーズ敷地内へ移動させて、あそこの踏切をスムーズにしたり、観光客がラーメン村へ行きやすくして欲しいですね。残念ながらアカチャン本舗が更地になっちゃいましたが、ラーメン村とうまくコラボさせるなど、パワーズにはまだ可能性が秘められていると思います。

そしていつか新幹線が「旭山動物園駅」に…、などと夢ばかり見ています。

ライナーに、新しくオープンする喫茶店が豊岡と、あと一つどこだかにあると載ってましたね。旭川を盛り上げてくれそうなところには、微力ながら足を運んでみようと思います。
 

お久しぶりです

 投稿者:永遠の旅人メール  投稿日:2016年 3月26日(土)00時12分51秒
返信・引用
  最近の西武撤退や消滅可能性都市へのランキングなど暗い話題の多い旭川 。
故郷が寂れていくのは悲しいです。五黄の寅さんの嘆きにも共感します。
国策により開拓され、その後陸軍や国鉄がこの街の経済を支えて来た歴史を振り返るとなかなか変われないのかなとも思います。
意外なのは公営交通機関もないし、丸井今井撤退の際の市の対応を見ても官依存と言うほど市も仕事してないですよね(笑)
良いか悪いかは別として普通の自治体なら市役所機能を移転するとかもっと頑張ってますよ。
丸井今井の時も極東証券、ESTA閉店の時もイオンモールと全て外部資本任せ。そもそも西武だってマルカツ、丸井今井を差し置いて地域一番店の地位を欲しいままに駅前に40年も君臨してきました。
花巻のマルカン百貨店みたいに地元から声が上がればいいんでしょうけど旭川では厳しいかもしれません。
 

初めまして

 投稿者:クリオネ  投稿日:2016年 3月25日(金)02時46分10秒
返信・引用
  旭川を調べているとここへたどり着きました。
旭川=チュプ・ペッ 旭川市のHPを何度見ても、ん?と思っていました。
北海道=アイヌ語地名が多いとはいえ、余りにもこじつけ過ぎているのでは?と。
前に何かの資料かサイトで、旭川は永山武四郎が名づけたと書いてあったのを見た事があります。
アイヌ語に無理やり感じを当てはめた物が今の地名で、発音はほぼ同じか似ているけれど、旭川=チュプ・ペッって、誰が聞いても???だと思うのです。
でも、ここのHPを読んでいて納得しました。
謎が一つ解けたと言う感じでスッキリしました。
自分の住んでる旭川を知らない・・・ここで色々勉強させて頂きました。
有難うございます。
 

Re: 戦略

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月25日(金)00時52分16秒
返信・引用 編集済
  >>モリゴロウさん

代弁ありがとうございます。
当掲示板は、旭川に関する事であれば基本的にどんな書き込みでもOKと謳っておりますので、
五黄の虎さんの話題もぜんぜん構いませんよ。




>>五黄の虎さん

実は私が旭川で最も嫌いなところが官依存体質です。
この官依存が高じて地元民間企業においても何かと言えば他人のせいにしたり頼ったりするという体質が根付いてる気がします。

イオンの進出も、西武の撤退も、平和通りの衰退も、
結局のところ全て民間の経済活動なのであって、本来は行政が関与するような問題ではありません。
若者が正社員として働く場の問題も、労働者の待遇の問題も、市が雇用してる訳ではないので市に文句を言っても始まりません。
市が直接関与できるとすれば、民間企業が進出し易い環境づくりと、積極的な誘致活動だと思います。
その意味では五黄の虎さんが言われるように、旭川の利点を生かせてないのが現状なのは間違いありません。

ただ、、、
未だに土建屋主導の経済界・市政が続いてるとすればそれはそれで問題ですが、
正直申し上げて、五黄の虎さんのここまでの発言にも、市が全て何とかしろ、といった官依存を感じてしまうのですが・・・
意図と違っていたらごめんなさい。

 

Re: 戦略

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2016年 3月24日(木)18時38分57秒
返信・引用
  > No.1155[元記事へ]

五黄の虎さんへ

はじめまして

初めての方に失礼とは思いますが、貴殿のお話しはこの掲示板向きの話ではない気がします


> しかし、わたしは西武百貨店の事をメインに話をしているのではありません。
>
> 旭川が、消滅都市のリストにはいっている情けない街であることを嘆いているのです。

確かにその通りです

今は人口34万人を切った旭川です

観光と言えば動物園くらいで今までのメインの産業も衰退しています

しかし愚痴ばかりでは何も始まりません

何か働きかけるものがなければ

愚痴を並べるのなら他のサイトではないでしょうか?


> この恵まれた環境を、市長に活かしきってほしい。

貴殿は具体的にはどのような環境をどう活かしきるお考えがありこのサイトに書き込みをされたのでしょうか?

ココで「温故知新」を見つけて「路面電車を復活させたい」などのご意見を書き込むのであれば

このサイトの趣旨に合うお話になると思いますがいかがでしょうか?


確かに大きな箱モノを作るのも市外の業者さんが入札し、市内業者さんは下請け孫請けです

それじゃ雇用も生まれないし立派な建物自体メイドイン旭川ではありませんよね

西武が撤退する事も大きな痛手でしょうが閑散としたフードテラス、街中交流館をもっと利用価値の高いものにするなど、あるモノを有効利用した街づくりで活性化できると思います

私は自分なりに意見を持って色々な働きかけをしています(成果は出ていませんが)汗

生意気を言いましたが

お気持ちは痛いほどわかりますので失礼ながら書き込みさせて頂きました

 

戦略

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月21日(月)16時14分18秒
返信・引用 編集済
  ご丁寧な回答ありがとうございました。

しかし、わたしは西武百貨店の事をメインに話をしているのではありません。

旭川が、消滅都市のリストにはいっている情けない街であることを嘆いているのです。

西川市長には、結構よく合う立場ですが、旭川活性化のメニューを全く持っていない。

ここに危機感を抱いているのです。

東川町長を旭川に迎えたいくらいだ。

47都道府県全部言ったことがあるけれど、旭川ほど恵まれた街はほとんどないですよ。

この恵まれた環境を、市長に活かしきってほしい。

広野組の社長が市役所の人事、商工会議所の人事を握っていた時ほどではないけれども、

また三役五人の内三人が土建がらみだ。相変わらず土建会議所です

市民が景気が悪くて苦しんでいるのに新市役所、武道館。

旭川の就業人口の80%を占める第三次産業で働く労働者の待遇が改善してからにしてほしい。

若者が正社員で働ける場所を作ることが最優先だと思います。
 

Re: 台場東町

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月17日(木)21時12分42秒
返信・引用
  kazeさん、はじめまして。

私は不動産取引にはまったくの素人ですので、あくまで一市民の目で見る返答である事をご了承ください。

ご質問の台場東エリアは、スキー場の麓の傾斜地に広がるかなり古い宅地です。
国道12号線寄りは、今でこそ数がかなり減りましたが、かつては旭川一のラブホテル街でした。
その国道12号線も、高速道路が開通してからはかつての交通量はなく、
沿線には閉じたままの飲食店やガソリンスタンドなども数多く見受けられます。
旭川市街側から見ると、札幌寄りとはいえ丘を一つ越えた”離れ”であり、
お世辞にも人気のある住宅地とは言えません。
はっきり申し上げて、同じ旭川市内なら他にいくらでも良質な住宅地・物件はたくさんあります。


それよりも何よりも、失礼ながら、
賃貸経営が目的で不動産を購入しようというのに、
自ら現地を確かめもせず、こんな一介の掲示板に情報を求めようとしてる事が私には信じられないのですが・・・


 

台場東町

 投稿者:kazeメール  投稿日:2016年 3月17日(木)00時59分28秒
返信・引用 編集済
  こんばんは。
台場東町の一軒家を買って賃貸経営しようかと検討しているのですが、
旭川のものではないため今ひとつわかりません。

もちろん駅前でも街中でもないエリアでスーパーもコンビニも無いことはわかっていますが、
町として居住はあるようです。12号に近いことがメリットになっているかわかりませんが。
台場東というエリアは、物件を購入しても入居が入りそうでしょうか?

また旭川全体的に、雰囲気というか景気というかはいかがでしょうか?
旭川の他の町でも物件の購入を考えていますが、おすすめでしょうか?やめたほうが良いでしょうか?
旭川の方々は、賃貸で借りますか?それとも買われますか?

その他なんでも、旭川の各町のことや物件を購入する際に気をつけるべき点ほか、お教えいただければ幸いです。
突然の投稿で恐縮ですが、旭川の掲示板ではこの掲示板が一番まともにやり取りされているようにお見受けしました。
ぜひとも、よろしくお願いいたします。
 

西武撤退は時代の流れ

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月13日(日)21時07分46秒
返信・引用
  報道では、あたかもイオン開店が要因のように言われている西武の撤退ですが、私は少々違うと思っています。

西武は7年前の丸井今井撤退騒動の際に、一度表明した撤退を覆しました。
丸井今井の閉店が正式に決まった事から「百貨店一店舗なら状況好転が見込まれる」というのが理由でした。
確かにその時点では、まさかイオンが駅直結で目と鼻の先にできるなんて誰も想像しなかった事です。
しかしながら、丸井今井撤退によって実際に西武の売上が大きく好転したのは直後の1~2年くらいなもので、
以降は駅イオンがなくとも毎年のように前年割れを続けていたのです。

全国的にも、地方都市はもちろん、東京や大阪などの大都市圏ですら百貨店の統廃合や撤退が相次ぎ、
札幌においても、今後最終的に残れる店舗は2~3店であろうと言われているくらいです。


つまり、もはや時代の趨勢というやつですね。
百貨店という形態そのものが、バブル以降完全に斜陽産業化しています。
と言いますか、デフレ傾向だったにも関わらず、高額・高級志向一辺倒に特化してきた百貨店自らが、一部の大都市でしか生き残れない、地方都市での存続を難しくしたと言えます。
ぶっちゃけた話、旭川のような地方都市では、大規模な高級百貨店を潤すだけの金持ちは少ないという事ですね。


私も、旭川から百貨店が一つも無くなってしまうのは寂しく思う一人です。
2棟ある建物を1棟に縮小すればまだやって行けるんじゃないか?と考えたりもします。
実際問題、いくら衰退だ赤字だとは言え、ここにはまだ道内有数の年間100億円の市場がある訳ですから。

しかし、いつまでもコスト高の百貨店形態に拘っていては、この先ジリ貧を繰り返すだけです。
ブランド需要・高級志向をある程度留めつつ、コスト的に見合う業態に早期に転換したほうが良いのではないでしょうか。
100億円の市場が現実に旭川から逃げて行かないようにする事が急務かと思います。

 

Re: 謝罪

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月10日(木)22時45分30秒
返信・引用 編集済
  五黄の虎さん、ご理解ありがとうございます。
私も少々偉そうにしてかえって申し訳ありませんでした。
以降はもっと力を抜いて気軽に書き込んで頂けたらと思います。

今回の西武撤退についての私の考えは、また改めて書き込みたいと思います。
 

謝罪

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月10日(木)10時05分48秒
返信・引用
  気が昂ぶっていたとはいえ、大変失礼致しました。
今後、気をつけます。
 

Re: 旭川を憂う

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月 9日(水)23時21分16秒
返信・引用
  五黄の虎さん、はじめまして。

お気持ちは重々察します。
しかしながら、ここは私が開設し管理している私的掲示板です。
いくら旭川に関する自由な発言を認めてるとはいえ、
ここに出入りする皆さんに意見を問いたいならば、
必要最低限の挨拶と敬語を使うくらいの常識はわきまえて頂きたいものです。

 

旭川を憂う

 投稿者:五黄の虎メール  投稿日:2016年 3月 9日(水)18時03分56秒
返信・引用 編集済
  とうとう旭川の人口は34万人を割り、満足な就職先がないから若者は旭川を見限る。
西武の撤退が決まり、事ここに至って西川市長が慌てふためいている。
市長の公約の中に、経済活性化も入っているが駅ビルイオンの誘致がその一助になると考えていた節がある。
旭川の小売業の過当競争の実態を肌で感じていたとは思えない。
旭川市の一人当たりの所得は、200万円以下どの業種でも最低賃金のパートさんばかりだ。
道内国立大学を卒業した40歳前後の男性を、月給15万円で雇えるまちなのだ。
弊社でも3人存在している。
市会議員もほとんどの人が危機感なし。皆さんの意見が聞きたい。
 

Re: 鉄筋コンクリート(RC)構造物の老朽化?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 3月 4日(金)00時27分29秒
返信・引用
  かんじさんへ

おっしゃる通り、減価償却期間と実際の耐用年数とはまったく別物ですよね。

私も一応、法人として決算申告する側の人間ですので最低限の知識は持ってるつもりですが、
減価償却というのは、あくまで経費の多年度分散の考え方です。

例えば、企業がパソコンなどの機器類を何百万円も一括購入したとすれば、
これは少なくとも4年5年は使用するものですから、購入した年度だけの一括経費としては認められません。
償却資産として計上する必要があり、定められた年数に従って分割経費計上しなければなりません。

そうしなければ、その年度に大きな利益が見込まれる企業が、
「税金で持ってかれるくらいならこの際でかいモノを買って利益を圧縮しよう」
となる訳で、税金を徴収する側にとっては、まこと好ましからず事態になる訳です。

この償却年数はモノによって細かく法律で定められてる訳ですが、その時の経済状況や政策によっても左右されます。
特にパソコンのような短期償却期間の機器類は、状況によって一括償却を認められたり、3年償却を認めたり、と変動します。
建物などの不動産もこういった短期償却資産ほどでないにしても、その時々の政策の影響は受けてます。
いずれにしても、少なくとも実際の耐用年数とは関係なく、あくまで金銭的な評価価値が基準です。
この考え方は何も企業に限らず、自治体の資産においても同じだと思います。


つまり、かんじさんのおっしゃるように、
もしこの減価償却期間をベースに市庁舎の”老朽化”を言ってるとすれば、あまりにも無駄な事をやろうとしてる訳で、
ぜひとも専門的な分析をもっと実施すべきだと思います。
震度3で倒壊の恐れ、などという報道もなされてましたが、
ちょっと前に震度3を記録したのに、ひび一つ入ったという話すら聞きませんよね。

 

鉄筋コンクリート(RC)構造物の老朽化?

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 3月 3日(木)10時10分28秒
返信・引用
  少し長くなりますが、最近思っている事を書かせてください。
現在、旭川市庁舎の建替え計画が着々と進んでいるようですが、それに関する記事が報道されるたびに引っ掛かることがあります。
それは「老朽化」という言葉です。
老朽化という言葉には非常にネガティブな響きがあります。
古くなった建物を建替えるというのは一般的な感覚ではありますが、では何をもってして古くなったというのでしょうか?
現在の旭川市役所が完成したのは1958年10月です。
いまは2016年ですから58年経過していることになります。
58年前の鉄筋コンクリート構造物を、「いやぁ、古いね」というのか「58年ですかまだまだ新しいんですね」というのか?
「旭川市役所は建築後58年経過して老朽化している為、建て替えを行う」
良く聞きませんか?

そこで先日の庁舎建て替えに関する市民説明会に行きました。
そして、そこで聞いたのです「市庁舎が老朽化していると言いますが、具体的に何がどのくらい老朽化しているのですか?」と。
総務課長さんは言葉に詰まりました。
設備が古くなって、、、。
そう確かに配管や電気など設備はとうの昔に古くなっています。これは20年も経てば古くなりますから、常に更新してゆかなければなりません。
私は「鉄筋コンクリートの躯体が50年やそこらで老朽化するなんて事実は聞いたことがありません」「鉄筋コンクリート構造物の寿命はゆうに100年を超えるはずです」
「鉄筋コンクリート構造物が50年足らずで老朽化してしまうような間違った認識を広めて頂きたく無い」と強く申しました。

そこで出てきた答えが「耐用年数」という言葉だったのです。
つまり税法上減価償却される構造物の耐用年数が「鉄筋コンクリート50年、木造建物24年」と定義されているのです。
この例にならえばカメラは5年が耐用年数です。
つまり旭川市役所が老朽化しているとする定義は、税法上の耐用年数を過ぎているので老朽化しているという事なのです。
劣化してタイルが剥がれて来ているとも言っていましたが、それは補修すれば良いことで旭川市役所が構造物として老朽化しているという理由はどこにもないのです。
名機と呼ばれる良いカメラは5年で既に老朽化しているのでしょうか?

構造物も同じです。
木造建物の耐用年数は24年ですが、木造建物である法隆寺は1300年以上経っています。
イギリスでは100年を超えた住宅は価格が上がってゆきます。
ヨーロッパでは石造りの建物が多く築200年を超えるアパートも多いです。
コンクリートは1000年以上前から使われており、ローマのコロッセオの闘技場も煉瓦やコンクリート造りです。
鉄筋コンクリートが50年で老朽化するわけがない。

実は耐用年数の元になったものがあります。
現在の耐用年数は昭和40年に改訂され公表されていますが、改定前のものは昭和26年にあった「固定資産税の耐用年数の算定方式」というものです。
これには鉄筋コンクリート構造物の耐用年数を
防水  20年
床   30年
外装  50年
窓   30年
構造体150年
としているのです。
でも寿命が長いと減価償却期間が長くなり税金が入ってこなくなることから、当初加重平均により75年としていた耐用年数は次第に短くされ75年→65年→50年と構造物の寿命には全く関係なく短くされてしまいました。
このように鉄筋コンクリート構造物の構造体は100年以上はゆうに持つ物です。
それでも実際には50年も経たずに取り壊される建物が多いのは老朽化からではなく、諸般の理由から流行らないとか設備が使いにくいとか売れないとかの理由です。

鉄筋コンクリート構造物は50年では老朽化しません。
だからデザインも含め良く吟味して良いものを作ってください。
良いものは時代を経ても残す価値があります。
特に大規模公共建築物は50年なんてとんでもない、良いものを100年以上使う事を前提として作ってくださいと提言します。
ニューヨークのエンパイヤーステートビルは80年経っているのに全く老朽化はしていないそうです。
50年足らずで公共構造物を壊して建て直すなんて国は世界中で日本だけじゃないかな。
耐用年数50年という国税庁の根拠のない年数をもとに、、、、、、。
 

Re: 函館本線消滅

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 3月 1日(火)17時05分14秒
返信・引用 編集済
  > No.1143[元記事へ]

momongaさんへ

興味深い話、ありがとうございます。
どんどん寂しくなる鉄道路線ですが、最盛期には北海道中くまなく繋がっていたんですね。
添付の路線図はたぶん昭和30年代の物だと思うのですが、すべての町は鉄路で繋がり
街は駅を中心に賑わっていたのでしょう。
http://s1.gazo.cc/up/179308.jpg(でかい画像)

http://s1.gazo.cc/up/179308.jpg

 

Re: 函館本線消滅

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2016年 3月 1日(火)12時54分38秒
返信・引用
  momongaさんへ

私も新幹線効果に浮かれている状況に不安と憤りを感じています

今まで人気で乗車券の入手も困難だった北斗星やカシオペアなど辞めてまでも新幹線を通すやり方は
海外の観光客だけを相手にした誘致だと思います

木古内線は「いさりび鉄道」として復活しますが
路線をブツブツと切り刻んだやり方では「見殺し」になる第三セクターになりかねません

2030年には札幌まで新幹線が延長になり札幌~小樽間まではJRとして営業し、その先は第三セクター化の様です

気になるのは存続されるかどうかの「函館本線」の名称ですが、別な例としては「札沼線」と呼ばれる札幌~新十津川間の路線があります
昭和31年に札幌~石狩沼田(沼田町)まで開通しましたが昭和47年には新十津川~石狩沼田間が廃止になりました。今では「学園都市線」と言う愛称で呼ばれ医療大学駅まで電化されています

きっと「函館本線」と言う呼び名は無くならないで「動物園都市線」とか(笑)
今のJR首脳陣レベルじゃそれくらいしか浮かばないでしょうね



 

函館本線消滅

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 2月28日(日)23時44分25秒
返信・引用
  函館本線は、明治13年に官営幌内鉄道として小樽手宮~札幌間が部分開通したのが始まりです。
幌内鉄道はその名の通り、小樽港と幌内(三笠)の炭鉱とを結ぶのが目的で明治15年に全線開通しました。
その後経営は北海道炭鉱鉄道となり、空知の炭田開発を追うように延伸され、明治25年には空知太(滝川付近)まで達しました。

この頃は、あくまで石炭を運ぶ事が目的の鉄道であって、旅客を乗せるのはついでの様なものでした。
事実、上川へ入植する屯田兵や一般移住者は、小樽から空知太まで”炭車”に載せられたそうです。
(今どき”炭車”と言われても分からない人が多いと思いますが・・・)
そこからさらに2日がかりで徒歩や荷馬車で忠別太・永山までたどり着きました。

その後、空知太~旭川間は北海道官設鉄道が明治31年に上川線として開通させ、
経営母体は異なるものの、旭川と小樽が鉄路で結ばれる事となります。
函館側はこれより少し遅れ、これまた経営母体の違う北海道鉄道が明治35年より順次延伸し、
明治38年、小樽にて北海道炭鉱鉄道に接続し、ついに旭川と函館が鉄路で繋がりました。

これら経営母体がバラバラだった鉄道は、国策により順次国有化が進められ、
全線国有化完了後の明治42年、国鉄「函館本線」と命名されました。
以来100余年、この路線は北海道を代表する基幹路線としてその名が続いてきました。

中間に札幌があるにも関わらず、あえて起終点を旭川としたこの長大路線は、
当時の鉄道交通の要が、札幌ではなく旭川であった事の証でもあるのです。



さて、ここからが本題です。
いよいよ北海道新幹線の開業まで1ヶ月を切りました。
北海道新幹線とは言っても、正直言って旭川人にとってほとんど”他県”の出来事みたいなもんですけどネ。^^;

当面の終点である新函館北斗までの平行在来線である木古内線は、3セク移管での運営が決まっています。
さて、何年もつでしょうか。

問題は、札幌までの延伸が実現した時です。
函館以北の平行在来線も同じように3セク移管となります。
つまり、函館本線の函館-札幌間がその対象になるわけです。
これは何を意味するか?

おそらく、函館-長万部-小樽-札幌間の鉄路が、明治時代のように経営母体がバラバラに分断されるでしょう。
函館-長万部間は室蘭線経由の貨物路線が残りますが、長万部-小樽間は鉄路の存続すらあやしい。

要するに、明治42年以来続いてきた旭川-函館間の鉄路は一貫した経営母体ではなくなるわけです。
へたをすると、鉄路自体が寸断される可能性もある。


もうお分かりでしょうが、その時点で「函館本線」を名乗れなくなるということです。
札幌-旭川間は(おそらく札幌-小樽間も)引き続きJR北海道が運営するでしょうが、
函館まで繋がっていないのに、路線名に函館を残す事は有り得ません。
たぶん、またぞろ札幌目線で「旭川線」とか「小樽線」とかに変えられてしまうのではないでしょうか。

まだしばらく先の事とはいえ、北海道新幹線の話題が高まるごとにそんな事を思い浮かべる次第です。





 

Re: この流れですみません、、、

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 2月27日(土)17時04分40秒
返信・引用
  ユーリさん、やっぱり書き込みうまく行かなかったのかナ・・・

 

Re: この流れですみません、、、

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 2月16日(火)23時04分14秒
返信・引用
  ユーリさん初めまして。
全然この掲示板の趣旨と外れてませんよ。


私が旭川の歴史に興味を持ったきっかけですか?
それはやはり上川離宮計画の存在ですね。
最初はただ漠然と「ふ~んそんな計画があったんだ」程度でした。

ところが、もっぱら「幻の計画」と呼ばれるこの離宮計画が、実はあと一歩で着工されるはずだった現実の計画だった、と知った時に俄然興味が湧きました。
オイオイ、幻どころかこの計画が旭川発祥の原点そのものじゃないか、屯田兵はそれに付随したものじゃないか、とね。
そこから色々調べるようになりました。
旭川の原点が上川離宮であるように、私の歴史への原点も上川離宮です。

あともう一つ、"旭川"という地名由来への疑問も大きいですね。
私が歴史に興味を持つようになる以前から、アイヌ語意訳による旭川の地名由来には全く説得力を感じていませんでした。
素人目にも「こりゃ完全にこじ付けだろう」という客観的感想です。

上川離宮と共に、地名に対するこだわりも私が郷土史への興味を強めるきっかけになりましたよ。




 

この流れですみません、、、

 投稿者:ユーリ  投稿日:2016年 2月16日(火)16時07分32秒
返信・引用
  初めまして!

HPとても勉強になります!
これを無料でやっているのに驚きです。

僕は気の向くままに郷土史を調べている
若輩者です。

掲示板の趣旨とは外れて、不躾な質問かもしれませんが
momongaさんが郷土史に興味を持った切っ掛けはなんでしたか?
もし宜しければ教えて頂きたいです。
 

Re: 緑が丘の住宅街

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 2月13日(土)13時08分47秒
返信・引用
  かんじさんへ

ご指摘の緑が丘ニュータウンは、開発の時期から推測してたぶん工業高校の南側一帯の事を指していると思われます。
工業高校の今の場所への移転もその頃ではなかったかな・・・
今の高等技専や中小企業大学の神楽岡通りを挟んだ向かい側で、住民の人達はサニータウンと呼んでます。
私もここが緑が丘ニュータウンの開発名が付いていたとはちょっと記憶にありませんでした。
開発主体が民間になってますが、3セクの旭川振興公社ではなかったかと思います。


> が、いつの間にか地名が緑が丘のせいなのでしょうか、全体を緑が丘ニュータウンと皆さん言っているのではないでしょうか

そのとおりです。
神楽岡ニュータウンの造成前の実際の町名は、神楽岡ですらなく、西神楽〇線〇号だったと思います。
神楽岡ニュータウンの名で造成が進んで、分譲が開始される頃に緑が丘の住居表示が実施されました。
今の環状線の内側までですね。(医大などはつい10数年前まで西神楽4線5号でした)
それ以降一般には神楽岡ニュータウンと呼んだり緑が丘ニュータウンと呼んだりしてましたが、
さすがに年月と共に町名である緑が丘が定着して行きましたね。
たぶん役所が使う開発名称は、あくまで神楽岡ニュータウンのままなんでしょうけど。


件の緑が丘ニュータウンは、緑が丘の町名が現れた後の造成ですから、開発名称にも緑が丘の名を使ったんでしょうね。
でも、医大と同じで実際の住所は長いこと西神楽3線5号でしたよ。
さらにややこしい事に、ここに並んでる道営住宅は「道営第二神楽岡団地」といって神楽岡の名を使ってるんですよ。^^;
まあ、皆さん区別なく以前からあの辺一帯を緑が丘と呼びますけどね。
(古くからの住人は西御料地区の一部としています)


> 驚いたのは、神楽岡ニュータウンの設計者が「天野太郎」という事でこの方は、かの有名な建築家FLライト(フランクロイドライト)の弟子です。

私は存じませんでしたが、そんな有名な方が設計してたんですね。
当時はどんどん人口も増えていたし、旭川始まって以来の本格的ニュータウンとして、たいへんな人気でしたよ。
「旭川じゃないみたい」と言う市民も多かったと思います。

 

Re: 緑が丘の住宅街

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 2月 9日(火)10時17分38秒
返信・引用
  > No.1136[元記事へ]

momongaさんへ

追加情報です。
区画が面白いのでなんとなく調べ始めたニュータウンですが、思わぬ収穫ですよ。
先ず、momongaさんも勘違いしているのではないかと思うのですが、
神楽岡ニュータウンが緑が丘ニュータウンに変わったのではなく、本来これは別物のようです。
-----------
神楽岡ニュータウン(新住宅市街地開発事業、開発主体:北海道庁・旭川市、設計:東京芸術大学天野太郎研究室、1970年(昭和45年)~1981年(昭和56年)
施行面積:94.0ha、計画戸数:2754戸-計画人口:10200人
道営旭川神楽岡ニュータウン
第2神楽岡ニュータウン
------------
緑が丘ニュータウン(都市計画法による開発許可、開発主体:民間開発、1981年(昭和56年)~1993年(平成5年)
施行面積:36.0ha、計画戸数:1098戸-計画人口:3600人
------------
となっています。
が、いつの間にか地名が緑が丘のせいなのでしょうか、全体を緑が丘ニュータウンと皆さん言っているのではないでしょうか。

驚いたのは、神楽岡ニュータウンの設計者が「天野太郎」という事でこの方は、かの有名な建築家FLライト(フランクロイドライト)の弟子です。
しかも旭川市市民文化会館の基本設計も行っていたとは、、、。

という事は、あのふるきのある一帯の住宅街は、当時そうとうな鳴り物入りで開発された場所だったんですね。
 

Re: 緑が丘の住宅街

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 2月 8日(月)11時35分10秒
返信・引用
  > No.1135[元記事へ]

momongaさんへ

なるほどぉ、期待以上の解説です。
歩道が無い!気付かなかった。
徹底した歩車分離政策だったんですね。
私は住宅を10軒ほどユニット化したようなコミュニティの為の政策なのかと思っていました。

> やはり車を分離しようという発想が強すぎて、実態にそぐわない街路設計ではなかったか?と思います。

理想郷を作ろうとしたけど、絵に描いた餅だったんですね。
でもそんな過去をもった地区だってことが分かっただけでも良かったです。
画一化されたものばかりでは楽しくないです。
歴史だって間違ったり方向転換したりを繰り返しながら豊かなものになってゆくわけで、
紆余曲折ってのはそれはそれで良い事なんだと思います。

PS.
momongaさんの解説を読んでから、歩車分離の宅地開発に関して調べたら、
こういった住宅地は「ラドバーン方式」という手法で、1920年代に提唱され
ニュータウンの開発に影響を与えたって書いてありました。
現在はどうかわかりませんが、緑が丘ニュータウンを作る頃に流行っていたのかも知れませんね。
 

Re: 緑が丘の住宅街

 投稿者:momongaメール  投稿日:2016年 2月 5日(金)22時37分59秒
返信・引用
  かんじさんへ

あの頃は、排ガス公害や交通事故死者数がピークの時代で、
各地でノーカーデーを設けたり、自転車道を造ったり、かなり車を敵視する傾向にありましたよね。


緑が丘方式の道路構造が普及しなかったのは、結局のところ住民自身にとっても不便だったからではないでしょうか。
やはりあのどんづまり道路は、一箇所からしか出入りできない不便さと閉塞感がありますし、
ニュータウン内を車で行き来しようとする際の道路が、他の住宅街と比べるとかなり限定されるわけです。
抜けられると思ってあの袋小路に入り込んで来る車もけっこう多いですね。

それにお気づきかと思いますが、実は緑が丘ニュータウン内の車道は基本的に歩道が無いんですよ。
歩行者専用道が別にあるからという理屈なんでしょうが、歩行者用道路は各区画の内側に配置されているため、そこで生活する住民でない限り利用しません。
歩車道分離の押し付けのようなもので、今となっては逆に危険な道路が多いと言えます。
やはり車を分離しようという発想が強すぎて、実態にそぐわない街路設計ではなかったか?と思います。


米国式の住宅街なんかはおっしゃる通り曲線道路を組み合わせて構成されてますよね。
もともと車社会ですから車を排除しようという発想は毛頭なく、かといってあまりスピードの出せない構造という事で考えられています。
ダウンタウンが東西南北に真っ直ぐ線を引いただけの道路構造に対し、住宅街はかなり意図的に変化を持たせていますよね。
ただし、通りの名前を覚えてないと、自分がどこにいてどこを向いているのか皆目分からなくなるのが難点です。^_^;


 

Re: 緑が丘の住宅街

 投稿者:かんじ  投稿日:2016年 2月 4日(木)11時16分47秒
返信・引用
  > No.1131[元記事へ]

momongaさんへ

さすがmomongaさん、やっぱり答えてくれた。
なるほど、真中が広場になって通り抜けできないのは、住民と無関係の車を排除するためなんですね。
閑静な人重視のコミュニティを作ろうとしたわけか、五十嵐さんらしいんでしょうね。
でも結果的に他へ普及していないところを見ると、土地利用効率が悪いのかな。

住宅街の造成という意味では、アメリカをはじめとする諸外国では住宅地の道路は絶対に直線にはしません。わざと曲線を多用して曲がりだらけの住宅街を作ります。
それが変化があって人間的だと感じるんでしょうね。
https://www.google.co.jp/maps/@44.3867599,-79.7187492,1457m/data=!3m1!1e3?hl=ja
こんな感じです。
面白いですよね。
 

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