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Re: 旭神社

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月17日(水)16時37分56秒
返信・引用
  > No.1034[元記事へ]

かんじさんへ

おおっ! はじめて知りましたが、太田神社の階段すごいですね!
旭神社も、もし参道を階段にしたら、上の方はやはりハシゴ状態になりそうな傾斜です。
でも実際こういう参道が存在するんだから、旭神社もそうすれば名物神社になるんですけどね。
今の荒れ放題のままじゃちょっとみっともないし、そもそも誰も参拝できない。

道路はセダンでも行けないことはないと思います。
ただ轍で道の真ん中が相対的に盛り上がっていたり、草が伸びてたりするので多少腹を擦る可能性はあります。
麓の鳥居からすぐに荒れた道になりますので、そこでダメなようなら即バックです。
途中に一箇所だけ転回可能な広場がありますが、そこまで行けたなら上まで行けます。


そうですか、やはりあの祠が本来の神殿なんですね。
見たところ、拝殿より古そうでしたが、年代を判別できる文字は見当たりませんでした。

参道も、必ずしも人間が通れなくとも、神様が通れれば良いという話を聞いた事があります。
もう少し神道や神社に関する知識を知っておくべきかもしれませんね。

 

Re: 旭神社

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 6月17日(水)10時57分41秒
返信・引用
  > No.1031[元記事へ]

momongaさんへ

> 写真9:現在の社殿の裏に隠れるようにもう一つ小さな祠があった。
>     覆っている小屋はおそらくこの祠を保護するために後から造られたと思われる。
>     これが元々祀られていた神社か?

旭神社に関するまとめありがとうございます。
興味深く読ませて頂きました。
こんど機会があったら寄ってみたいですが、私の4WDセダンでは無理なのかなぁ。
超急な参道ですが、私の知っている限り道内で最大の急な参道はせたな町の大成区にある太田神社だと思います。
一度行ったことがあり、その階段の急さに絶句して数段上って引き返しました(^^;
http://www.hiyama.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/mame13.htm
どうして神社って急な参道でも平気なんでしょうかね。修業の一部なのかな?

それから余談ではありますが、小さな祠について私も最近知った知識を。
実はあの小さな祠が神殿です。神様はあそこに居ます。
で手前の立派な方が拝殿なのです。
人が集まって手を合わせる場所で、行事や飲み食いもします。
神殿のない神社もあり、その場合はご神体が山だったり祠に入らない場合のようです。
そういえば神社って裏に小さいのがありますよね。
まさか、あれが手を合わせるべきご神体とは、、、、、、、、、。ね。
 

旭神社

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月13日(土)11時45分3秒
返信・引用
  以前、美瑛の地名由来について当掲示板で話題になりましたが、
その美瑛発祥の地とされる旭地区へ行ってきました。
主な目的は旭神社の拝観です。


「旭」の地名は、かつてこの地に「旭農場」という広大な農場があったことに由来します。
神楽村から分村して美瑛村となる時に既に農場が拓かれていた事から、ここが美瑛発祥の地とされたのでしょうね。
美瑛とは言っても、辺別川に隔てられてるというだけで西聖和や千代ヶ岡市街に隣接しており、あまり美瑛という感じがしません。
ただ、旭地区の南端は「セブンスターの木」付近に達するほど広大で、平坦地と丘陵地とに大きく地形が分かれています。
旭神社は、旭川寄りの平坦地から丘陵地への変わり目の小山の上にあり、付近一帯を一望する事ができます。


旭農場は、兵庫県出身の小林直三郎という人が拓いた農場ですが、
この人は元々農家の生まれであるものの、カナダ・オンタリオ農学校を卒業し、米国・ウィスコンシン大学まで在籍した人で、
帰国後、日本での米国型農場・酪農経営を目指して新開拓地である上川にやってきました。
当時はまだ集団殖民や旧来の小作農が多かった時代ですが、
小林直三郎は単なる地主という事ではなく、共同経営で「旭農場合資会社」という姫路本社の会社組織で農場経営を始めました。
これ、今で言う農業法人ですね。

実際の農場経営は小林直三郎が受け持ち、明治27年に入地して以来苦難を重ね、数年後には軌道に乗り、
大正初期頃には小作人190戸を数える近代的経営の大農場となりました。
また、ホルスタイン牛を輸入しての酪農も同時に推し進め、旭川にも支場を設けて牛乳やバターの生産をしていました。
何と近文1線1号区割外地、つまり現在の本町(もとまち)から川端にかけてその牧場があったのです。

しかし、北海道の事情を理解せず、思ったほど利潤が上がらない事に疑念を持ち始めた会社・出資者らに嫌気をさし、
小林直三郎は、旭川の支場を自分個人の経営とし、旭農場からは手を引きました。
美瑛の農場は、洪水や凶作、治水改修工事資金の行き詰まりなどで大正6年に第三者に譲渡されてしまいます。

旭神社は、そんな旭農場・小林直三郎によって明治33年に建立された神社です。





写真1:西神楽市街を過ぎ、国道237号から未完の国道452号に入って辺別川に架かる「旭橋」を渡るとすぐ、
    「美瑛町発祥の地」「拓魂百年」の碑がある。比較的新しく、平成になってからの建立。

写真2:碑のある場所からさらに南方向に進むと平坦地から丘陵地帯に入って行く。
    丘陵地帯の端に当たるこんもりとした小山の頂上に旭神社はある。

写真3:麓の第一鳥居の奥はとんでもない急傾斜。
    しかも長い期間放置されてると見えて雑草が生い茂り、とても入り込めるような状況ではない。
 

旭神社

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月13日(土)11時43分10秒
返信・引用
  写真4:鳥居脇の狛犬も雑草に埋もれてしまいそうである。
    このような親子?の狛犬は初めて見ました。

写真5:正面から社殿へ向かうのは見た瞬間に諦め、鳥居脇から山を巻いて行く荒れた道を車で行く。
    社殿まで続いていると信じつつ登り続けるが、普通のセダンでは無理かと思われるような道だ。
    自分の車は四駆のRV車だが、それでも先がどうなってるか分からないだけに躊躇する。

写真6:何とか頂上の社殿にたどりつきホッとする。
    ここまでの道が道だけに朽ち果てた社殿を想像したが、さすがに社殿は維持されていた。
 

旭神社

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月13日(土)11時41分33秒
返信・引用
  写真7:社殿正面の第二鳥居から下を見下ろす。
    眺めは素晴らしいが、足元はほとんど崖のような急傾斜である。
    元々正面には参道がなかったのだろうか?そんなはずはないと思うが・・・
    これだけ傾斜がきついと真っ直ぐな階段にするのはとても無理だ。

写真8:社殿を正面から見たところ。
    この場で参拝する事ができるのは、今やここまでたどり着く事のできる人だけだ。

写真9:現在の社殿の裏に隠れるようにもう一つ小さな祠があった。
    覆っている小屋はおそらくこの祠を保護するために後から造られたと思われる。
    これが元々祀られていた神社か?

 

行ってきました

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月 8日(月)10時40分13秒
返信・引用
  6日の音楽行進行ってきました。
気温が上がらず、期待した日照もほとんどなく肌寒い1日でしたが、沿道は例年より多めの観客で賑わっていました。

やはり、トータルで5km以上は歩いたでしょうか。
歩くだけならこのくらい割と平気なのですが、音楽行進やアフターコンサートを見ている間もずっと立ちっぱなし。
終わる頃には股関節のあたりが痛~くなってました。

サンロクの居酒屋へ寄って帰ろうと思っていたのですが、
「ブラスカペレ・ベルンハルズバルト」のアフターコンサートを見るため駅前広場まで戻ったため、
またそこからサンロクまで歩く元気が残っていませんでした。(~_~;)
例年たどっている見学ルートですが、年々厳しくなるなぁ・・・

「ブラスカペレ・ベルンハルズバルト」は、いかにも町の音楽隊って雰囲気がとても良かったです。
観客の拍手に笑顔で手を振り返していました。



7日はF15を撮影すべく、混み合う駐屯地へは入らず、駐屯地外でカメラを構えていたのですが、ザンネン・・・
この日は天気が回復すると読んでいたんですが、意地悪な天気でしたね。
模擬戦の「音」だけ楽しんできました。


 

明後日は駐屯地解放

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 6月 5日(金)12時39分1秒
返信・引用 編集済
  明日の音楽大行進に続いて、明後日は第二師団の駐屯地解放、訓練展示ですね。
これがまた楽しいんだ。
なぜか赤い色の相手と模擬戦闘訓練があります。
戦車の号砲は空砲といえど物凄い迫力があり、へたな花火大会を上回ります。
ヘリの曲芸的な飛行や晴れていればF15も千歳から飛来するとか。
ちょっと秘密の駐車場を見つけたので今年は見に行こうと思っていますよ。

音楽大行進は例年通り5条でお仕事です。
終わった後サンロクでも行こうかな。
 

明日は音楽大行進

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月 5日(金)11時01分51秒
返信・引用
  今年も早やこの時期がやってきました。
護国神社祭に合わせるように降り出した涙雨は今日中に上がりそうですが、気温は明日もちょっと低そうですね。
ここんとこずっと夏日が続いて暑いくらいの好天だっただけに、ちょっと意地悪な天気です。
でもプレイヤーの皆さんにはちょうどいいか。


今回はドイツの吹奏楽団「ブラスカペレ・ベルンハルズバルト」がパレードに参加するとの事です。
どんな楽曲を披露してくれるのか、非常に楽しみです。
メンバーは既に旭川入りしてホームステイしており、音楽行進が終わるまで滞在するようです。

このバンド、14年ぶり2回目の参加だそうですが、実は私の記憶にありません。
よくよく考えてみると、その頃の私といえば、仕事に忙殺されて音楽行進どころではなかったかもしれません。


例年私はJRを使って音楽行進に出かけます。
従って、自宅と最寄駅の往復に加え、旭川駅→リベライン→永隆橋通り→平和通り→(サンロク)→旭川駅と、
山登りを除けば、この日が1年でいちばん歩く日かな?
さあ、明日はいったい何キロ歩くか。

 

ソフトボール

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 6月 1日(月)11時32分16秒
返信・引用
  旭川で初めて開催された、日本女子ソフトボールリーグの公式戦を見てまいりました。

北海道ではほとんど報道されないので、私も全くと言っていいほどリーグの知識がなかったんですが、
やはり日本代表で活躍の上野投手や、アボット投手の速球がどんなものか見たくて行ってまいりました。


いやぁ~、面白いもんですねぇ~

写真のように、スタルヒン球場のフィールド内に、一回り小さなフィールドをフェンスで仕切って造り、
ダッグアウト・ブルペンも観客から全て見えるオープンスタイルです。

野球よりマスが小さいぶん、非常にテンポ、展開が速く感じ、スピード感がありました。
いや、球の速さは野球と比べても全く損色ないので、実際に展開が速くて目が離せませんでした。
もちろん、上野投手やアポット投手の速球もすごかったですが、
野手の守備の良さ、送球の肩の強さが想像以上でしたね。

ちゃーんと鳴り物入りの私設応援団もあり、選手も応援団も元気いっぱいでした。


30・31日の2日間、計6試合が開催されましたが、私は31日の3試合を見てきました。
前売1000円で好きな方の日、出入り自由で3試合とも見られるというのも魅力です。
30日に30度近くまで気温が上がったのが一転、31日は未明から雨が降り出し、朝にもやや強い雨が降ったので心配しましたが、
午前中は気温が低いながらも雨は上がり、午後は北海道らしい爽やかな好天となりました。

意外と旭川にもソフトボールファンは多いみたいで、
この日、上野・アボット両投手が登場するビックカメラ対トヨタの試合時には、内野席がけっこう埋まってました。
公式ガイドブックも完売との放送がされてました。

ぜひ毎年旭川で開催してほしいものです。




写真上:両翼95mのスタルヒン球場に、一回り小さな両翼67mのフィールドをフェンスで仕切って造っている。
    これが女子ソフトボールリーグの公式サイズとの事。

写真中:圧巻の上野投手の投球。この日はトヨタ相手に完封勝ちしました。

写真下:やはり上野投手の人気が圧倒的のようです。
    試合後、ビックカメラチームのバスの周りには人だかりができ、
    次から次へとサインや写真を求められる上野投手だけがなかなかバスに乗り込めませんでした。
    最後はスタッフがファンに謝りながらやっと乗り込みました。

 

Re: 出合橋の位置

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月14日(木)23時50分20秒
返信・引用
  あっぢゃあー

あの稜線は神居山でなく常磐山でしたか。
わたし、今の今まであれを神居山と勘違いしてました。^^;
そう言われれば、ちょっと傾斜がゆるいですわ。

それにしても、バス停に名前が残ってたとは・・・
これはまったく思いも寄りませんでした。
なんせ、古い名称を平気で消し去って行く土地柄ですからネ。

やっぱり歴史ある名称はこうやって何らかの形で残しておく事が大事ですよね。

 

出合橋の位置

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月14日(木)17時14分7秒
返信・引用 編集済
  今の実際の位置からは木の陰になって山が見えません。
そこで文明の利器を使用しました。
Google Earthです。
少し鳥瞰になりますが、出会い橋の位置からバックが見えるような角度に視点をもっていった図を作ってみました。
すぐわきを滔々と流れる石狩川、山沿いの少し高い位置の上川道路。
そこにかかる出合橋。そして現在の出会沢という地名。
この位置で間違いなさそうですね。
出会沢のバス停を見た時には、「ヤッター!」って気分でしたよ。
 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月14日(木)16時57分16秒
返信・引用
  > No.1023[元記事へ]

momongaさんへ

> バイパスされて使われなくなった道路だから、逆に当時の線形がそのまま残されたと考えて良さそうですね。
> それにしてもよく廃道にされずに残ったなと思います。
> 廃道として放置されたなら、とっくの昔に自然に帰化して跡形もなくなっていたでしょうに、造材か何かで多少は利用され続けていたんでしょうね。

あの坂道が上川道路だとの確信が湧くと同時にもう一度しっかりと見たくなりました。
前回は恐る恐る降りるのに精いっぱいだったもので、、、、。で、行ってきました(^^;
あの旧道が12号線に出るところにバス停があり、それが「国見峠」というバス停です。
今日は余裕をもって通って見たのですが、特に変わったものは無かったのですが
苔むした古い石垣が残されていました。

> 出合橋の位置ですが、
> かんじさんが添付された写真には、すぐ横を流れる石狩川の上流方向に明らかに神居山と思われる稜線が写っています。
> これに適合する場所といえば、国見峠を下りきって神居古潭方向へ1kmほどのところ。
> 現在の国道12号線から更進へ抜ける道のT字路の辺りかと思われます。

私も出会い橋の位置はすぐ横を流れる石狩川の位置から言って2カ所ほどしか考えられないなと
思っていましたが、神居山の稜線も考慮しての考察ですか、さすがです。
で実際の場所に行ってみました。(すっきやね)
momongaさんピンポンです。
今は橋は無くなっていますが、小さな川が流れておりカルバートで道路を横断しているようです。
でも、momongaさん推察の神居山ですが、実際に位置関係を精査すると、写真に写っているのは神居山ではなく常磐山ではないでしょうか。
常磐山の稜線もあの向きからだと非常によく似た形状です。神居山はもっと右だと思います。
では、なぜ現在のあの位置が出合橋の場所だと分かったのか、、、。
だってあの沢は「出会沢」って言うんですもの。ちょうどそこにあるバス停にしっかり書いてありました。
橋は無くなっても出会いの名前は沢に残したんですね。

 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月13日(水)23時47分45秒
返信・引用
  かんじさんへ

> つまり今あまり利用されていない、国見峠の先の細い道は当時の上川道路そのものであると言えます。

バイパスされて使われなくなった道路だから、逆に当時の線形がそのまま残されたと考えて良さそうですね。
それにしてもよく廃道にされずに残ったなと思います。
廃道として放置されたなら、とっくの昔に自然に帰化して跡形もなくなっていたでしょうに、造材か何かで多少は利用され続けていたんでしょうね。

上川道路は、明治19年に幅2メートルの刈り分け道路で開通し、
明治20年から22年にかけての改修で幅6メートルに広げられ、馬車が通れるように中央部分3メートルに砂利を入れたそうです。
今残っている道路は確かにそれそのものという雰囲気を感じます。


出合橋の位置ですが、
かんじさんが添付された写真には、すぐ横を流れる石狩川の上流方向に明らかに神居山と思われる稜線が写っています。
これに適合する場所といえば、国見峠を下りきって神居古潭方向へ1kmほどのところ。
現在の国道12号線から更進へ抜ける道のT字路の辺りかと思われます。


 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月13日(水)15時51分13秒
返信・引用 編集済
  > No.1021[元記事へ]

momongaさんへ

> かんじさん、やっぱし合成しましたネ。(^^)
はい、いつもの手法です(^^;

もう少しハッキリとした地図を手に入れました。
明治30年作成、明治43年修正の5万分の1地図です。

これを見ますと、まさに国見峠で大きな崖を上り下りしたであろうことがわかります。
さらにこの蛇行した道路線形はまさに、いまの道路とぴったり合うのです。
つまり今あまり利用されていない、国見峠の先の細い道は当時の上川道路そのものであると言えます。
この峠がいつまで使われたのかは定かではありませんが、上川道路は大正9年に旧道路法に基ずく路線認定として、現在の12号線のルートとなると書いてあるので、この時点で国見峠を通らずに石狩川沿いに路線変更になった可能性があります。
同時に鉄道の発達で大正期に音江法華の駅逓が廃止になったのもこの路線変更が影響した可能性があります。

PS.
5万分の1の地図は東旭川の兵村記念館特別展で展示されていたものの一部です。
 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月13日(水)10時35分7秒
返信・引用
  かんじさん、やっぱし合成しましたネ。(^^)

上川道路全線を通じて峠の名が付いているのはこの国見峠だけかと思います。
道路ができる前までは、神居古潭の渓谷が石狩川最大の難所でしたが、
道路が通じてからの最大の難所は国見峠だったということなんでしょうね。
確かに馬車だとたいへんそうです。

 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月12日(火)16時49分1秒
返信・引用
  > No.1019[元記事へ]

momongaさんへ

> 音江法華付近の地図画像がありました。
> 拡大してもボケちゃって文字はほとんど読み取れないんですが、上川道路のルートは概ね分かりますね。
>

おーーー、素晴らしい地図だ。
ルートがしっかりわかりますね。
文字は読めないけど、雰囲気では赤丸のところが国見峠ですよね。
やはり川と崖に阻まれ、峠を越えたってのが正解のようです。
となると、国見峠の先の細い急な下り坂は明治のころからあまり変わりない上川道路の一部という事が言えますね。

続いて上川道路が現在の道路とどう重なるのか試してみました。
現在の道路地図に昔の上川道路を重ねてみると、、、、。
おーーーーーー、ぴったり一致するではないですか。
まさに12号線のコンクリート工場のところから音江の町を抜け、国見峠を越えて12号線に戻ります。
さらにその先は神居古潭まで現在の12号線と上川道路はぴったり一致しています。
上川道路が蘇りました。(^^)/
 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月12日(火)13時51分47秒
返信・引用
  音江法華付近の地図画像がありました。
拡大してもボケちゃって文字はほとんど読み取れないんですが、上川道路のルートは概ね分かりますね。

 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月12日(火)11時06分11秒
返信・引用 編集済
  かんじさんへ

村上久吉著「旭川市史小話」の中に「おいはぎ橋」という話があり、
国見峠、出合(会)橋、音江駅逞など開拓当時の上川道路の様子が語られていますので抜粋を載せますね。

ただ文中では、国見峠や出会橋などが、あたかも神居古潭にあるような表現になってますが、これはそのまま受け取らないほうがいいと思います。
実際には昔でいう2里(約8km)も離れていますから、勘違いなのか、昔の人の距離感なのかは定かでありません。
出合橋はたぶんかなり神居古潭寄りなんでしょうね。



(以下抜粋)
上川道路は二十三年修築したとはいえ、密林をきり開いてもり土をしただけの開拓道路、
毎日百台をこえる馬車の往復に、いわゆるそろばん道路などのなまやさしいものではない。
わだちのあとに食いこんで車じくでささえる、丸太をしいてかつぎ上げる、雨のあとは全くのどろんこ道、しる粉道、
馬車で田のしろかきをしているようなもの、車がくいこんで動けなくなった馬のしりを丸太ン棒でたたきつけてはねあげさせる。
途中で馬のたおれてそのままになるものさえ珍しくなかった。それに道はばせまい。

上川入りの場合を上りといい、荷物はあるが、もどる場合は下りといってからの場合が多い。
そこで途中で行きちがうのにしぜんにもどりの馬がよけてやることになったまではよいが、気の荒い時代だ、
少しでもよけ方がわるいと、たちまちけんか、大立廻り、車も荷物も、時には人まで石狩川で泳がせられる。
たまたま下りに荷物があると、上りの連中から「こいつ、上り下りに荷をつけて、よくばりなやつだ」とののしられ、やはりよけねばならぬ。
そこで下り馬は五十頭から七、八十頭もまとまって隊を作るようになる。
当時の馬車追は大ていドスをしのばせて、いつでもけんかに応じられるようにしていた。

神居古潭の今のつり橋附近は、山道を永く上って来て、そこから急坂を下ることになっていた。国見峠である。
馬も三回ぐらい丸太を車にさして立ちもどり、息をつかねばならず、しばしば馬もたおれたもの。

今の古潭荘附近に出合橋があり、滝川と旭川との中間で、両地からの郵便逓送はこの辺で交換して引き返したので、この名がある。
それより上手に俗称おいはぎ橋あり、一方は絶壁、一方は川で追いはぎには屈強の地であった。

音江駅逞前の道路ばたには、角材を長さ一メートル、はば半メートルくらいにえぐったのが百くらいずつと並べておかれ、水を汲みこんでいたもの。
ここまでたどりついた馬が一度に八十頭でも九十頭でも休めるようにしたもので、人は中に入って一ぷくする。
大きなまんじゅうをふかして売る。五十個たべたらおれが払ってやるなどと多食競争、四十ぐらいで目を白黒し、残念がるという余興も時には見られた。


 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月11日(月)17時21分54秒
返信・引用 編集済
  momongaさんへ

> 実は私も見過ごしてしまったんですが、
> 音江の市街から国見峠へ向かう途中に、音江法華駅逞跡の史跡もあるようです。
> 看板が建ってるだけで、建物の痕跡はいっさい残ってないようですが。

明日から天気が悪くなるとの予報だったので、今日思い切って行ってきました。
音江法華駅逓跡及び国見峠です。
同時に上川道路の名残を探すというか、上川道路が音江の町の前後付近どこを通っていたのだろうかなどという痕跡を探してきました。
音江の街中を通っている道路が滝川方面に向かって12号線にぶつかる先国道沿いに、沖里河神社という神社がありました。石碑を見ると20年前に100年記念とありましたので、1895年明治28年にあったわけですから、上川道路がこの付近を通っていたことは間違いありません。
そこをスタートして、音江の街中に向かいます。右手に法音寺という寺がありこの辺りが古いことがわかります。
音江の中心部交差点を過ぎると右手に深川市指定有形文化財旧鷲田農場事務所があります。
明治46年の建物でした。その先の左に音江法華駅逞跡がありました。
今は一般の方のお宅の敷地ですが、説明の看板がありました。
間違いなく上川道路はここを通っていたんですね。
当時の上川道路の様子を探してみると、空知群上川道路出会い橋という写真が見つかりました。
当時はこんな感じだったのですね。
さて音江法華駅逞のあと道路は国見峠に向かって続いています。
国見峠はmomongaさんの紹介の通りです。
そしてその先道路は急激に狭くなり、車で行くのをためらってしまうほどです。
はたしてここも上川道路の一部なのでしょうか?
たぶんそうだと思いました。というのも国見峠に上がるとわかるのですが、石狩川が直ぐ眼下を流れています。今は12号線が走っていますが、当時はどうだったのかそして川は常に氾濫し蛇行します。音江という町には深川の稲作発祥の地という看板もあります。
役場もここにあったそうです。
そうして考えると、町を抜けたあと上川道路は国見峠を越えて先に下っていったと考えるのが自然です。
山側に行ってもどんどん山に登ってゆくだけですので、ここは降りたと思われます。
細いけれどわずかに舗装されている様子があるので、恐々と降りてゆきました。
たぶん上川道路もここを通っていたのだとの強い関心だけを頼りに無事降りられました。
音江法華駅逞は大正に入り鉄道が深川を通ったため、次第に通行量が減り廃止になったそうですね。
地図で見ると鉄道は、この国見峠を避けるために江部乙を過ぎたあと国道12号線と分かれます。
そして石狩川を渡って石狩川の北側を走り妹背牛や深川(一已村)を通って神居古潭に通じることになります。
つまり上川道路は音江から峠を越えたのに対して、鉄道は国見峠を越えられないので、結果的に妹背牛や深川が出来たことになりますね。
ん~~、面白い。
 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月 9日(土)12時27分59秒
返信・引用
  > No.1014[元記事へ]

かんじさんへ

実は私も見過ごしてしまったんですが、
音江の市街から国見峠へ向かう途中に、音江法華駅逞跡の史跡もあるようです。
看板が建ってるだけで、建物の痕跡はいっさい残ってないようですが。
 

Re: 3年過ぎたけど・・

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月 9日(土)12時21分30秒
返信・引用
  > No.1013[元記事へ]

かんじさんへ

なるほど、「揚屋」と書くと全然意味が違ってきちゃうわけですね。(笑)
専門用語は難しい。

う~~ん、基礎工事やってたんでしょうかね。
確かに昨年見た時は、仮設塀に遮られて建物の下の方は確認できませんでした。
今回たまたま塀の一部が開いてたので覗けましたが、
今まさにそれをやってるように思えたんですが、仮設シートの影で暗くて基礎の状況がよく分からないのです。

請負業者のお知り合いに直接聞けるなら間違いないですね。
私もまた見て来ます。
 

Re: 国見峠ー2

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月 8日(金)13時02分40秒
返信・引用
  momongaさんへ

あ、ここ昨年通った!
地図では旭川方面に抜けられそうだったので、真っ直ぐに行ったら下りになって急に道が細くなって、
あまりに細くって不安になってそのまま戻ってきました。
そうか、あの頂上の脇に国見峠の展望台があったのかぁ。
知っていたら寄って来たのになぁ。
こんど通ったら行ってみます。
あの旧道が上川道路でしたか。札幌方面から来るとコンクリート会社の前で右に入って音江の町の中を走るんですよね。
そういえばお寺もあったし、なるほど旧道か。
夏になると音江小学校辺りが花できれいなんですよ。
 

Re: 3年過ぎたけど・・

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月 8日(金)12時45分10秒
返信・引用 編集済
  > No.1008[元記事へ]

momongaさんへ

ジャッキアップしての基礎改修は外観上はわからない程度のものだと思いますけどね。
2013年に基礎工事の為に床を剥がしているので昨年やってるんじゃないかなぁ。
それにしても市のサイトの説明に
>揚屋をして基礎工事を行い、歪みの修正・壁面ほか各部の修理・塗装工事を行います。
って書いてあるけど、これは揚前の間違いですね。
http://www.hinodegumi.co.jp/hikiya/agemae_construction/about/
揚屋だと非常に恥ずかしい説明になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%B1%8B


追伸
現在、偕行社の改修を行っている会社に知り合いが居たので進捗状況などを聞いてみますね。
 

国見峠ー1

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月 7日(木)18時51分39秒
返信・引用
  近文山の近く、嵐山展望台から江丹別側へ抜ける道路に国見峠という峠がありますが、
同じく国見峠を名乗る峠が、深川の音江町にもあります。
以前から一度行ってみなければ・・と思っていたんですが、ようやく行ってきました。


音江は昔「音江法華」と呼ばれ、高畑利宜が明治22年に札幌-旭川間の上川道路に設けた駅逞が発祥の町です。
現在も神居に建物が残る、忠別太駅逞が第一美英舎ですが、音江法華の駅逞が第二美英舎でした。
そして第三が空知太(滝川)と続きます。

だだ、音江の市街は現在の国道12号線沿いにはなく、国道と道央道深川インターとの間にあります。
つまり、かつての上川道路は、この付近では今の国道12号線より山側を通っていたということですね。
当時の石狩川の増水による水没を避けていたと思われます。
そしてその音江の市街から1.5kmほど旭川寄りに、国見峠があります。


思ってたよりも遥かに素晴らしい眺望でした。
いつも石狩川っ淵の国道12号線か、道央道を車で通り過ぎるだけだったので、今の今まで気付きませんでしたが、
地図上ではすぐ横を平行する旧道に、雨竜原野まで見渡せる、こんなに見晴らしの良い場所があったんですね。
国見峠という名に納得です。


永山武四郎は、近文山からの国見で上川原野を見渡して上川屯田兵村を拓きましたが、
この国見峠からは北竜の原野を見渡し、一已・納内に屯田兵村を拓いたのでしょうね。




写真:国見峠は標高約155mとさほど高くはないが、
   石狩川の流れる北側が川岸まで一気に急傾斜(ほぼ崖)になっており、
   見通しを遮るものがない。

 

国見峠ー2

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月 7日(木)18時48分47秒
返信・引用
  写真上:音江の市街側から国見峠への道路。(つまり旧上川道路)
    正面の頂上が国見峠だが、たいした傾斜でもないので道も真っ直ぐ峠に向かう。

写真中:峠の旭川側は今でも未舗装の山道だ。
    この先は傾斜がきついので道も曲がりくねっていて、
    数百メートル先で現在の国道12号線に合流し神居古潭へ向かう。
    旧上川道路と一致してるかどうかは定かでない。

写真下:石狩川河岸から見た国見峠。(あずま屋の見えてる所)
    下に見えるトレーラーが走ってるのが現在の国道12号線。
    こちらから見ると眺望の良さが見て取れる。
 

Re: 3年過ぎたけど・・

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 5月 5日(火)12時01分40秒
返信・引用 編集済
  かんじさんへ

> これまで何をやっていたか、確信はないのですが確か基礎を修復していたと思います。
> 建物全体を持ち上げて、不当沈下していた基礎を治したんじゃなかったかな。


これらの作業も含めてたぶんこれからだと思われます。
この3年間何度か様子を見に行ってますが、ジャッキアップはもちろん、少なくとも外観からは何の動きも見られませんでした。
ビフォーアフターなんか見てると^^; 建物持ち上げての基礎やり直しは、先に躯体だけの丸裸にしてからやってますよね。

想像するに、これまでは内部で壁・床・天井などの解体が進められていて、思ってたよりやっかいな工事だったのではないでしょうか。
どこまで解体されるのかが分からないので、今後はもう少しまめに見に行きたいと思います。



と思って再度調べてみたら、一応進捗状況が載ってました。(昨年の分がありませんが)
平成29年の再開館となってますから、やはりあと2年ですね。
http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/bunkashinko/sculpture_mus/kaisyuujoukyou/kaisyuu%20top.html

 

Re: 3年過ぎたけど・・

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 5月 1日(金)17時10分7秒
返信・引用
  > No.1006[元記事へ]

momongaさんへ

> うーん、まだ2年やそこらかかるかな?

これはかかりそうですね。
これまで何をやっていたか、確信はないのですが確か基礎を修復していたと思います。
建物全体を持ち上げて、不当沈下していた基礎を治したんじゃなかったかな。
自信はないですけど。(^^;

2年かかっても良いから丁寧に修復してもらいたいものです。
そして彫刻美術館ではなく、偕行社の建物として活用してもらうのが私の願いです。
 

3年過ぎたけど・・

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 4月30日(木)12時03分35秒
返信・引用
  偕行社の修復はまだしばらくかかりそうですね。

思えば、修復のために閉館したのは3年前の1月末。
http://9008.teacup.com/momonga_farm/bbs/index/detail/comm_id/554

当初計画では2年、場合によっては3年かかる予定、との事でしたが既に3年を経過。
これまでの3年は、工事用の仮設塀が周囲を囲んだだけで建物外観に変化はなく、進捗は全くうかがえませんでした。
たぶん建物内部では、修復に必要な調査や修復方法の検討などの地道な作業が進められていたのだと思われますが、
ここへ来てようやく写真のような外壁を覆う足場が組まれました。
これからがいよいよ本格的な修復工事の始まり、という事なんでしょうね。

うーん、まだ2年やそこらかかるかな?

 

カタクリ

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 4月24日(金)11時09分2秒
返信・引用
  昨日の旭川は20℃超え。クルマに乗ってたら暑いくらいでした。
札幌では桜の開花宣言が出ましたが、旭川もたぶん今日明日くらいには開花宣言すると思われます。
今年はやはり早いですねー


早いといえば・・・
この調子だとカタクリはとても連休まで持たない、と思い、
昨日の陽気に誘われて、仕事をサボっ・・もとい、仕事の合間を縫って撮ってまいりました。

ビンゴ!
やはり、男山の売店で聞くと「今日がピークっぽいですよ」との事。
平日ですが、けっこう人も来ていました。


ところが・・・
今年のカタクリはどれも色がくすんでいて、何だかひなびたような様子です。
群生の密度も疎らな感じです。
青いエゾエンゴサクも同様です。
真っ白な大雪山連邦も見えていたので、ぜひ山を入れて撮りたかったのですが、肝心のお花畑がちょっと・・・(-_-;)

どうしちゃったんでしょう。
やはり、冬の厳しさが甘いのも、雪解けが早過ぎるのも、
自然にとってはあまりありがたくない事なのかもしれないですね。

 

Re: 1963年

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 4月 9日(木)09時58分45秒
返信・引用
  記録更新の可能性は大ですよね。

何故か昨日の雪が記録されてないですが、記録されたとしても1~2センチでしょうか。
今日からまた気温が上がるみたいですし、週間予報でも雨マークはあっても雪マークはありませんよね。
稀にゴールデンウィーク前後に雪降ることがあるので最後までわかりませんが、まあ、間違いないでしょう。

3月に真冬日が1日もなかったというのも驚きでした。
ホント、毎冬がこのくらいだと楽だなぁーと思いましたよ。 ← しみじみ^_^;

フキノトウがもうすっかり顔出してますし、
この調子だと、桜の開花もかなり早くなる可能性が強いですネ。

 

Re: 1963年

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 4月 8日(水)11時08分19秒
返信・引用
  > No.987[元記事へ]

> 表題の1963年の小雪はちょっと特異です。
> 一冬の累積降雪量は374センチ。
> これに対しこの冬ここまでの累積降雪量は318センチ。
> 3月の降雪というのは非常にムラが多く、多い年と少ない年でかなり極端に数字が変動します。
> さて、どうなることやら・・・
>

今朝、少し雪が降りましたね。
これで終わりでしょうか?

現在364cm、今朝のは入っているのな。
このままだと、1963年の記録更新でしょうか、、、、、。
ワクワク。
 

Re: 鋲っぽい

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 3月23日(月)19時57分41秒
返信・引用
  > No.992[元記事へ]

momongaさんへ

ぬわんと

珍品ですか~ ^ ^

ことさら正体が気になりだした(???????)


> 私も頭にわざわざ屋号?を入れているところが気になってました。
> ああいった印を入れるということは、製造者を記すアピールが目的ですよね。
> 線路固定用のいわゆるイヌクギではないような気がします。
>
> IMAIさん、もしかしたら本当に珍品かもしれませんよ?
>
>
 

集団移転論

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月22日(日)18時50分34秒
返信・引用
  話題が、駅前・中心市街地に向きましたので、以前から思い描いていた私の”妄想論”を・・・


イオンがオープンしますと、買物公園の商店街は益々衰退すると危惧されてますが、私もそれは間違いないと思います。
イオン側の見解は「共存共栄を図る」との事ですが、そう甘くはないでしょう。
イオンの集客効果や相乗効果によってメリットを受ける小売店も確かにあるでしょうが、それは駅に近い、せいぜい二条か三条辺りまでで、特に四条五条以北は、もはや特定の目的以外の買物客は殆ど歩かなくなるのではないでしょうか。

全体として中心街への人の流入が増えるのは間違いないでしょうが、その殆どが旭川駅周辺へ集中するものと思われます。
規模は違えど、大丸デパート・ステラプレイス・JRタワーのオープンで札幌がそうなりましたよね。
遥かに人口の少ない旭川はもっと極端な状況になると思います。


今となっては平和通の商店街はだらだらと長過ぎだと思います。
戦前までこの通りは、旭川駅と師団方面とを結ぶ”街道”の役割も担った道路でした。
そういった時代は、旭橋方向との人の往来が非常に多く、沿道に延々と商店が並ぶ形態で良かったでしょう。
戦後も、昭和40年代に本格的なモータリーゼーションが到来し、街のドーナツ化現象が加速する前まではそれなりに歩行者が多かった。

しかし、マイカーを中心とする交通インフラの発達で状況は大きく変わりました。
中心部の商店街は、駅や駐車場を中心としたコンパクトな”面”にまとまってくれてたほうが便利です。
車で行くにしても、電車やバスで行くにしても、その方が歩く距離が少なく効率よく色んな店を巡れるからです。

つまり、平和通商店街の問題は、個々の店舗の魅力の問題だけでなく、もはや構造的な問題でもあると言えます。
昔ながらの1Kmにも及ぶ一本路商店街は、店の駐車場に不自由しない郊外の道路沿いでもない限り、もはや時代遅れです。



そこでここからが妄想的提案です。

この際、平和通商店街を半分にカットし、四条から北にある店舗は思いきって集団移転してはいかがでしょう?
どこへ?

旭川駅東口向い側の高架下です。


駅構内を通ればイオンモールとの間は殆ど屋外を歩かずに済みます。
それこそキャノピーが買物公園まで延長されれば、西武デパートや少なくとも一条通りまでは傘がなくても歩けます。

中央橋通り側には都市型市営住宅数棟と複数の民間マンションが建設中で、さらに道営住宅も予定されており、今後至近距離内の人口増が期待できます。
氷点橋一本渡れば神楽の住宅街ですし、目と鼻の先には北彩都ガーデンと今後シンボル施設も予定されています。
また、JRインを含めて3棟のホテルが建設中であり、既存ホテルと合わせると、この周辺はちょっとしたホテル街になります。
こんな好条件の場所を単なる車置き場にしとくのは愚の骨頂です。

私はここを、小規模な店舗ばかりたくさん詰め込んだ、上野アメ横のような庶民的商店街にしたらどうかと思います。
中途半端にお洒落な事をやろうたって、イオンモールや西武デパートに敵うはずがありません。
ああいった、どこそこのブランド店が居並ぶ大規模店とは対極的な、雑然としたイメージの商店街を醸し出すのです。

付近の住民が日々の買物をする、近くのホテル宿泊者が何があるのか覗きに来る、○○オタクがその筋のモノ?を探しに来る・・・
そんな雑多な、何でもありの闇市風商店街が望ましいと思います。


これは何もわざわざ集団移転というやっかいな方法でなくとも、高架下の有効利用という事で普通に店子を募るだけでもできる話です。
しかし大事なのは、平和通商店街をコンパクト化・集約化する事であり、活況の密度を上げる事でより大きな相乗効果を創り出す事だと思います。

駅から遠く離れた、人通りもめっきりなくなった買物公園の場末で、ジリジリとシャッターを閉める日を待つくらいなら、
思い切ってイオンや西武という巨艦の懐近くに飛び込んで、全く違ったイメージ戦略に打って出たほうが良いのではないでしょうか。
てっとり早く言えば、この際買物客だけでなく、店舗も駅の近くに集めてしまおう、という事です。



さてそれでは、集団移転によって歯抜け状態になった四条五条以北の空白地帯はどうするか?
まずやらなければならないのが再区画整理です。
事業としてはたぶんこちらの方が大変かと思います。
残された事業者や居住者を集約し、再区画整理する事によって新たに大きな区画をつくり出します。
そしてそこに今課題となっている新しい市役所を建てれば良いのではないでしょうか?


「やっぱり妄想だ!」と言われるかもしれません。
しかし、よくよく考えてみましょう。
集団移転とは言っても、既存高架下に店舗移転を促進するだけの話です。(既に戦意喪失してる店は無理にする必要はない)
そして移転後の再区画整理も、既にインフラのでき上がってる地区の再整備ですから、それほど大規模な土木工事にはなりません。
この程度の立ち退きと区画整理事業は、その辺の道路の拡幅や新設、ルート変更時などでいくらでもやっています。
もちろん北彩都計画全体などから見ても、ケタ違いに小さな事業です。

戦前になりますが、旭川はロータリー設置のきっかけとなった、牛朱別川切替工事という市街地大改造も経験しています。
けっして妄想などというレベルではなく、現実レベルの話だと思います。




PS: 地元誌を見ていたら、奇しくも殆ど同じような考えを持ってる経済人がおられました。
    ただし高架下ではなく、単に四条以南への店舗集約と言われています。
    また、四条以北の平和通は車が通れるようにと言われてますが、私はこれは必ずしも賛成ではありません。
    明治期から師団通り・平和通りとして続く伝統あるこの通りは、やはり「一貫した通り」としての形態を維持したいものです。

 

Re: 鉄道駅と中心街

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月21日(土)23時13分40秒
返信・引用
  新設の新幹線駅のようなケースはまたちょっと話は別かと思いますが、
確かに本州のマチでは、在来線の駅名であっても必ずしも中心市街地と一致していないケースがけっこう多いですよね。

藩制時代から続く地名を駅名にしたものの、近代以降発展した市街地とは必ずしも場所が一致しない、という事なんでしょうね。
あるいは既に中心となる市街地が形成されていたものの、代々続く地名への拘りがそうさせたのかもしれません。

旭川のように、未開の原野に市街地の線引きが成されたと同時に鉄道ルートも考慮された、というのとは訳が違いますよね。
まさにそこは歴史的な経緯が起因していると思います。

 

鉄道駅と中心街

 投稿者:永遠の旅人(momonga転送)  投稿日:2015年 3月21日(土)19時03分5秒
返信・引用
  大館の話がありましたが、道外では割と鉄道駅と中心街が離れているところは多く、人口24万の八戸市(青森県)も新幹線が停車する八戸駅は中心街から5km程離れており、八戸駅前にはビジネスホテルとコンビニ程度しかありません。
人口70万超の熊本市も熊本駅前は最近再開発を進めているものの、中心街から3km程離れており比較的長閑な場所にあります。
新潟、盛岡、弘前なども八戸や熊本ほどではありませんが、鉄道駅は本来の中心街とはやはり離れています。

これはやはり歴史的なものに起因しているのでしょうね。
北海道の都市はほとんどの場合、鉄道が敷設されてから人や物資が流入し町が発展したため、どんな小さな町でも駅前中心の市街地が形成されましたが、道外の場合は城下町や宿場町など既に既存の市街地があり、鉄道用地の確保が困難だったのかもしれませんね。
また、大都市から大都市へのルート選定の上でなるべく無駄のないルートにしたかったのかもしれません。(新幹線の新○○駅のように)

俗説では蒸気機関車の煙や乗客により外部からもたらされる疫病の懸念から鉄道を忌み嫌う風潮もあったとの事ですが、長岡や平(現いわき)ではお城の堀を埋めて鉄道を敷設したようですから、真偽のほどはわかりかねますが…。

 

Re: 街の顔

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月20日(金)17時04分14秒
返信・引用
  永遠の旅人さんへ

駅前の活況ってやはり大事ですよね。
それに駅前の様子でそのマチの性格が何となくわかる場合も多い。


秋田県に忠犬ハチ公の故郷、大館という町がありますが、私は初めてここの駅に降り立った時はビックリしました。
駅前に繁華街はおろか、店らしい店も何もないんですよね。夜に着いたら周りはほとんど真っ暗です。
人口8万人クラスの特急も停まるマチだというのに、いったいどうしちゃったんだろう?と不思議に思いました。

実はこのマチの中心街は駅から1Km以上離れたところにあって、駅に接続する道路も幹線道路から外れています。
旭川で言うなら、そうですね、近文駅とか新旭川駅の辺りにメイン駅があるってイメージですね。

何故メインの駅がこんな街外れにあるんだろう?
ホテルのある中心街まで行くのにもいちいちタクシーを使わねばなりません。
高速バスも駅前から出てるので、これまたホテルから駅までタクシーです。
他所から訪れる者にとっては、不便さと、駅前での第一歩の何もない印象だけが強く残ります。

おそらくそれなりの経緯があっての事でしょうが、色んな意味でかなり損をしてると思います。
例としてはちょっと極端でしたが、
駅前に活況がない、
空洞化によって駅前の利便性が大きく失われている、
郊外分散によりクルマがなければとんでもなく不便、
等々、外部の目から見るとそういう事だと思います。



ペデストリアンデッキについては、北彩都の当初計画の中にスカイウォークというのがあって、
これは、半円形のアクリルで覆った雪の溜まらない全天候型構造を計画していたようです。
予算削減で帳消しになってしまいましたが、実際に計画されてた事から技術的には問題ないのではないでしょうか。
 

街の顔

 投稿者:永遠の旅人(momonga転送)  投稿日:2015年 3月20日(金)09時10分29秒
返信・引用
  momongaさん おはようございます。
永遠の旅人です。

中心部の空洞化で街の顔をなくした釧路や苫小牧を見てください。
道外の県庁所在地クラスでもそのような都市はたくさんあります。
苫小牧なんて人口増加都市ですが少なくても駅を降りて活気がある都市だとは全く感じません。

一方で長崎県の佐世保市は福岡への流出を受けながらも人口25万都市とは思えない中心部の賑わいを感じる事ができ、斜陽都市と思って来訪した者にとって拍子抜けするほどです。

民間企業は利益の出ない事は絶対にやりません。
その意味でイオンモールが進出し、西武やフィールが迎え撃つべく改装するという事実をもってすれば、旭川駅前は全国的にはまだまだ魅力的なエリアなのでしょう。

ペデストリアンデッキと言えば印象的なのは杜の都仙台。
信号待ちしなくてもいいのが最大のメリットですが、積雪地には厳しいかもしれませんね。
除雪、融雪、いずれもコストや維持管理に難があります。

事実、日本海側にはほとんどありませんね。
長岡駅前(新潟県)や山形駅前、秋田駅前に歩道橋レベルのものはありますが、真冬でもほとんど積雪のない秋田市や山形市ですらそのような状況ですから、旭川市では非常に厳しいのではないかと思われます。

 

Re: そもそもですが…

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月19日(木)17時52分43秒
返信・引用 編集済
  必要か必要でないか、と問われれば、私は大いに必要だと思います。

わざわざ狭い中心部に今さら店が必要か?郊外店があればいいじゃないか、という意見も耳にしますが、
それはあくまで車での移動を前提とした、地元の人間の利便性からの観点にしか過ぎません。
旭川駅という玄関口の存在も、旭川を訪れる人の利便性も、車を運転しない人の大変さも無視しています。
あと、何だかんだ言って、やはりマチの顔という側面もあります。

地元の人間の移動手段が車中心になったから、という論理だけで中心商店街の必要性は語れないと思います。
本当に必要(=需要)がなくなれば、論じるまでもなく勝手に消滅して行くでしょうしね。
(需要を創り出すというのも重要ですが)


> 魅力を感じると言いますか、行きたい店があるのかどうかも知りませんけど、イオンですら年に数回しか行かないのでよく分かりません。
> 高校生の時は毎日このエリアが通学コースだったのですが、当時はアーケードがあり突然の雨が降っても信号猛ダッシュだけで、それほど雨に濡れずに遊んでいた思い出があります。

私も似たようなもんです。
ショッピングは、目的のものだけを見てまわり、目的の買物が済んだら即終了です。(笑)

昔のアーケードに比べりゃ、キャノピーはずっと開放的だし、歩行者にとって非常にありがたいものだと思うんですが・・・
雨の日のウィンドーショッピングなんかは、間違いなくキャノピーの続いてるところまで、というのが人の心理でしょうね。

 

そもそもですが…

 投稿者:あず  投稿日:2015年 3月18日(水)23時11分19秒
返信・引用
  買物公園エリアにある商店ってmomongaは必要だと思いますか?
魅力を感じると言いますか、行きたい店があるのかどうかも知りませんけど、イオンですら年に数回しか行かないのでよく分かりません。

高校生の時は毎日このエリアが通学コースだったのですが、当時はアーケードがあり突然の雨が降っても信号猛ダッシュだけで、それほど雨に濡れずに遊んでいた思い出があります。

 

キャノピー反対???

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月15日(日)14時01分55秒
返信・引用
  私は従来から当掲示板でも唱えてきた通り、ペデストリアンデッキ推奨派です。
駅周辺をペデストリアンデッキで有機的に結び、北彩都大池や買物公園などに人の流れを呼び込む事を唱えてきました。

今回、イオンモールの開店にあたって、西武デパートからも旭川市に対して要望があったとの事です。
悲しいかな、おカネのない旭川市は、駅前広場に設置されてるキャノピーを、イオン側から買物公園にも延長する形でカンベンを・・という事になったようです。
まあ、それはそれで何もしないよりは遥かに良いと思います。
ただ、大した必要性の感じられないスポーツ公園に何十億ものおカネをかけるくらいなら・・とも思います。


それはともかく、地元誌によれば、一条以北の商店主らから「こちら側にはいらない」という声が上がってるとか。
私はこれ、いよいよ自虐的になったのかな!?とビックリしています。
理由を聞いてさらにビックリ。
「屋根の下を歩かれると店の看板が見えなくなる」だそうです。
え?アーケードのあった時代はどうだったの??

あきれてしまって、開いた口が塞がりません。
昨日、駅前広場のキャノピーの下を歩きながら確認してみました。
あのキャノピー程度の幅ですと死角になるのはほとんど頭上の方向だけで、斜め上はかなりの角度まで視野があります。
西武やフィールのような、高い建物のてっぺんにある看板は隠れるかもしれませんが、低層の建物なら屋根の上まで充分見渡せます。
いったい何のための反対なんでしょうか?

先に看板ありきでショッピングする人なんてそうそう多いとは思えませんし、実際には看板は見えます。
そもそも、歩く人がいなくなってしまったら元も子もない、ということを考えないのでしょうか?

 

ごかいも~ん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月15日(日)09時44分36秒
返信・引用
  開業以来旭川駅西側を覆っていた仮壁がついに取り払われましたね。
ベールに包まれていたイオンの内側がとうとう姿を現し始めました。
少々広さを持て余し気味だった旭川駅も、これでようやく賑わいが出てくるかな。


 

Re: 鋲っぽい

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月13日(金)10時16分23秒
返信・引用
  お、あずさんお久しぶりです。
生きてて良かった良かった(笑)

私も頭にわざわざ屋号?を入れているところが気になってました。
ああいった印を入れるということは、製造者を記すアピールが目的ですよね。
線路固定用のいわゆるイヌクギではないような気がします。

IMAIさん、もしかしたら本当に珍品かもしれませんよ?

 

鋲っぽい

 投稿者:あず  投稿日:2015年 3月12日(木)22時22分47秒
返信・引用
  皆様、ご無沙汰しておりました。
死亡説を払拭するためにも久々にお邪魔します。(笑)

IMAIさんがイヌクギと言われ買った…。

個人的に見た時の印象は、神社などに使用されている鋲の類ではないかと思いました。
打ち込まれると丸頭の鋲しか見えませんが、長さからは構造的に釘としての機能を持ち合わせ、さらに装飾を兼ねたものでは無いかと思いますが…。

神社仏閣あるいは大店の建築物であれば、屋号なり家紋なりをデザインした鋳物を発注できたかもしれません。

 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 3月11日(水)00時24分26秒
返信・引用
  > No.989[元記事へ]

かんじさんへ

!!!!

昨日、書き込んだケド・・・
消えてる!?

押すところを間違った様です



色々調べて頂いてありがとうございます( ´▽`)


後は、家でオブジェとして飾っておきます

 

Re: イヌクギ?

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 3月 9日(月)13時28分32秒
返信・引用
  > No.988[元記事へ]

IMAIさんへ

> 提示いただいた写真確かにイヌですね~
> やっぱり自分のは、違う気がしてきました。
私は語源を示しただけで、実際に日本で普及したイヌクギは丸い亀のようなアメリカ製の流れを汲むものなのですよね。
だから丸くてもイヌクギではあると思います。

> 長さは、19cm程ありました
おお、かなり長いものなのですね。
まさにイヌクギ級です(^^;
で、いろいろ調べてましたが、IMAIさん所有のレトロな釘に匹敵する品が他に見当たらないというのが現状です。
でも鉄道のレール関連品で「止釘」というものがあります。
http://www.yamakatsu1021.jp/ropekanren/rail.html
(イヌクギの下に絵が載っています)
これはイヌクギのようにレールを止める専用品ではなく要するに大きな釘です。
これだと頭が丸くて釘の中心に頭がのっています。
これかもしれません。
長さもジャストですよね。
現物の写真が見つからないのですけど、、、、。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 3月 8日(日)14時48分51秒
返信・引用
  > No.986[元記事へ]

かんじさんへ
ご無沙汰です( ´▽`)

提示いただいた写真確かにイヌですね~

やっぱり自分のは、違う気がしてきました。


長さは、19cm程ありました
 

1963年

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月 3日(火)12時10分24秒
返信・引用
  昨日は実に久々に本格的な雪かきで汗を流した、という印象です。
いや、印象ではなく事実そうですよね。
べたべたの重い雪でしたネ。


またまた雪の話題で恐縮ですが、
この1月、2月は結局記録的な小雪で終わりました。
その割にあまり報道されないのは、道内他地域は大荒れ続きのせいかな?

1月の降雪量80センチは観測開始以来5位、
2月は39センチで1963年以来の歴代2位の小雪でしたね。
ポイントは1、2月合わせた数字で、やはり1963年以来2位の記録的小雪だったと言えます。
いちばん寒くて、最も積雪の積み上がる時期に2ヶ月連続して楽させてもらったという感じです。
例年、このくらいの雪の量だと旭川の冬もさほど苦になりませんよね。
まだ記録は追ってませんが、気温もかなり記録的な暖かさだったような気がします。

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=12&block_no=47407&year=&month=&day=&view=p6


表題の1963年の小雪はちょっと特異です。
一冬の累積降雪量は374センチ。
これに対しこの冬ここまでの累積降雪量は318センチ。
3月の降雪というのは非常にムラが多く、多い年と少ない年でかなり極端に数字が変動します。
さて、どうなることやら・・・
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 3月 2日(月)18時15分15秒
返信・引用 編集済
  > No.983[元記事へ]

IMAIさんへ

かんじです。しばらくでした。
珍しいものをお持ちですね。イヌクギですか。
私も知識があまりないのですが、これを機会に調べていたところです。
が、同じような釘が見当たりません。
で、サイズなんですがお持ちの釘はどのくらいの大きさでしょうか?
レールを止めるイヌクギであれば15cm以上もあると思いますが。

また、イヌクギという言葉は知っていましたが、犬に似ている?似ていないなと思っていましたが、言葉の由来はイギリス製のレール用の釘で、これを見ると確かにまさしく犬だなと思いました。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Spike_001.jpg

IMAIさんがご提示のものは、頭が丸く模様が入っていてなんとなく装飾的な感じも受けました。
断面が四角い釘は「和釘」と呼ばれ明治期までの日本の建築に用いられていたようですが、そんな釘なのかななんて想像もしました。
とにかく頭が薄く丸く綺麗なのでレール用ではない気がするんです。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 2月27日(金)20時56分12秒
返信・引用
  > No.984[元記事へ]

momongaさんへ

> IMAIさん、お久しぶりです!
> 生きてましたか(笑)

ギリギリですが何とか生きてます( ´艸`)


> これまた、珍問ですねー ^_^;

テヘェ~ (*゚ー゚)ゞ


途中略


> ザンネンながらイヌクギに関する私の知識はこれだけです。m(__)m

では、この釘の正体が不明なままで

失礼します ε=ε=ε=ε=\(;゚ロ゚)/


ありがとうございました。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月27日(金)20時06分15秒
返信・引用 編集済
  IMAIさん、お久しぶりです!
生きてましたか(笑)


これまた、珍問ですねー ^_^;

たまたまですが、正月のNHKのブラタモリ復活編第一弾でイヌクギの由来が登場してましたね。
鉄オタのタモリ曰く、
明治期に日本は英国から鉄道技術を導入していたので、枕木に線路を固定するための釘も英国式のイヌクギを採用した、という様な事を言ってました。
その名の通り、釘の頭の形が犬の鼻に似ているところからこの名がついているそうです。

その通りだとすると、写真の釘の頭は真ん丸なので、明らかに違う気がしますよね。
もしかすると、枕木に固定するクギを総称してイヌクギと呼んでるとか?

ザンネンながらイヌクギに関する私の知識はこれだけです。m(__)m


PS:頭に入っている屋号のような模様が何なのかちょっと気になりますね。
 

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