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集団移転論

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月22日(日)18時50分34秒
返信・引用
  話題が、駅前・中心市街地に向きましたので、以前から思い描いていた私の”妄想論”を・・・


イオンがオープンしますと、買物公園の商店街は益々衰退すると危惧されてますが、私もそれは間違いないと思います。
イオン側の見解は「共存共栄を図る」との事ですが、そう甘くはないでしょう。
イオンの集客効果や相乗効果によってメリットを受ける小売店も確かにあるでしょうが、それは駅に近い、せいぜい二条か三条辺りまでで、特に四条五条以北は、もはや特定の目的以外の買物客は殆ど歩かなくなるのではないでしょうか。

全体として中心街への人の流入が増えるのは間違いないでしょうが、その殆どが旭川駅周辺へ集中するものと思われます。
規模は違えど、大丸デパート・ステラプレイス・JRタワーのオープンで札幌がそうなりましたよね。
遥かに人口の少ない旭川はもっと極端な状況になると思います。


今となっては平和通の商店街はだらだらと長過ぎだと思います。
戦前までこの通りは、旭川駅と師団方面とを結ぶ”街道”の役割も担った道路でした。
そういった時代は、旭橋方向との人の往来が非常に多く、沿道に延々と商店が並ぶ形態で良かったでしょう。
戦後も、昭和40年代に本格的なモータリーゼーションが到来し、街のドーナツ化現象が加速する前まではそれなりに歩行者が多かった。

しかし、マイカーを中心とする交通インフラの発達で状況は大きく変わりました。
中心部の商店街は、駅や駐車場を中心としたコンパクトな”面”にまとまってくれてたほうが便利です。
車で行くにしても、電車やバスで行くにしても、その方が歩く距離が少なく効率よく色んな店を巡れるからです。

つまり、平和通商店街の問題は、個々の店舗の魅力の問題だけでなく、もはや構造的な問題でもあると言えます。
昔ながらの1Kmにも及ぶ一本路商店街は、店の駐車場に不自由しない郊外の道路沿いでもない限り、もはや時代遅れです。



そこでここからが妄想的提案です。

この際、平和通商店街を半分にカットし、四条から北にある店舗は思いきって集団移転してはいかがでしょう?
どこへ?

旭川駅東口向い側の高架下です。


駅構内を通ればイオンモールとの間は殆ど屋外を歩かずに済みます。
それこそキャノピーが買物公園まで延長されれば、西武デパートや少なくとも一条通りまでは傘がなくても歩けます。

中央橋通り側には都市型市営住宅数棟と複数の民間マンションが建設中で、さらに道営住宅も予定されており、今後至近距離内の人口増が期待できます。
氷点橋一本渡れば神楽の住宅街ですし、目と鼻の先には北彩都ガーデンと今後シンボル施設も予定されています。
また、JRインを含めて3棟のホテルが建設中であり、既存ホテルと合わせると、この周辺はちょっとしたホテル街になります。
こんな好条件の場所を単なる車置き場にしとくのは愚の骨頂です。

私はここを、小規模な店舗ばかりたくさん詰め込んだ、上野アメ横のような庶民的商店街にしたらどうかと思います。
中途半端にお洒落な事をやろうたって、イオンモールや西武デパートに敵うはずがありません。
ああいった、どこそこのブランド店が居並ぶ大規模店とは対極的な、雑然としたイメージの商店街を醸し出すのです。

付近の住民が日々の買物をする、近くのホテル宿泊者が何があるのか覗きに来る、○○オタクがその筋のモノ?を探しに来る・・・
そんな雑多な、何でもありの闇市風商店街が望ましいと思います。


これは何もわざわざ集団移転というやっかいな方法でなくとも、高架下の有効利用という事で普通に店子を募るだけでもできる話です。
しかし大事なのは、平和通商店街をコンパクト化・集約化する事であり、活況の密度を上げる事でより大きな相乗効果を創り出す事だと思います。

駅から遠く離れた、人通りもめっきりなくなった買物公園の場末で、ジリジリとシャッターを閉める日を待つくらいなら、
思い切ってイオンや西武という巨艦の懐近くに飛び込んで、全く違ったイメージ戦略に打って出たほうが良いのではないでしょうか。
てっとり早く言えば、この際買物客だけでなく、店舗も駅の近くに集めてしまおう、という事です。



さてそれでは、集団移転によって歯抜け状態になった四条五条以北の空白地帯はどうするか?
まずやらなければならないのが再区画整理です。
事業としてはたぶんこちらの方が大変かと思います。
残された事業者や居住者を集約し、再区画整理する事によって新たに大きな区画をつくり出します。
そしてそこに今課題となっている新しい市役所を建てれば良いのではないでしょうか?


「やっぱり妄想だ!」と言われるかもしれません。
しかし、よくよく考えてみましょう。
集団移転とは言っても、既存高架下に店舗移転を促進するだけの話です。(既に戦意喪失してる店は無理にする必要はない)
そして移転後の再区画整理も、既にインフラのでき上がってる地区の再整備ですから、それほど大規模な土木工事にはなりません。
この程度の立ち退きと区画整理事業は、その辺の道路の拡幅や新設、ルート変更時などでいくらでもやっています。
もちろん北彩都計画全体などから見ても、ケタ違いに小さな事業です。

戦前になりますが、旭川はロータリー設置のきっかけとなった、牛朱別川切替工事という市街地大改造も経験しています。
けっして妄想などというレベルではなく、現実レベルの話だと思います。




PS: 地元誌を見ていたら、奇しくも殆ど同じような考えを持ってる経済人がおられました。
    ただし高架下ではなく、単に四条以南への店舗集約と言われています。
    また、四条以北の平和通は車が通れるようにと言われてますが、私はこれは必ずしも賛成ではありません。
    明治期から師団通り・平和通りとして続く伝統あるこの通りは、やはり「一貫した通り」としての形態を維持したいものです。

 

Re: 鉄道駅と中心街

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月21日(土)23時13分40秒
返信・引用
  新設の新幹線駅のようなケースはまたちょっと話は別かと思いますが、
確かに本州のマチでは、在来線の駅名であっても必ずしも中心市街地と一致していないケースがけっこう多いですよね。

藩制時代から続く地名を駅名にしたものの、近代以降発展した市街地とは必ずしも場所が一致しない、という事なんでしょうね。
あるいは既に中心となる市街地が形成されていたものの、代々続く地名への拘りがそうさせたのかもしれません。

旭川のように、未開の原野に市街地の線引きが成されたと同時に鉄道ルートも考慮された、というのとは訳が違いますよね。
まさにそこは歴史的な経緯が起因していると思います。

 

鉄道駅と中心街

 投稿者:永遠の旅人(momonga転送)  投稿日:2015年 3月21日(土)19時03分5秒
返信・引用
  大館の話がありましたが、道外では割と鉄道駅と中心街が離れているところは多く、人口24万の八戸市(青森県)も新幹線が停車する八戸駅は中心街から5km程離れており、八戸駅前にはビジネスホテルとコンビニ程度しかありません。
人口70万超の熊本市も熊本駅前は最近再開発を進めているものの、中心街から3km程離れており比較的長閑な場所にあります。
新潟、盛岡、弘前なども八戸や熊本ほどではありませんが、鉄道駅は本来の中心街とはやはり離れています。

これはやはり歴史的なものに起因しているのでしょうね。
北海道の都市はほとんどの場合、鉄道が敷設されてから人や物資が流入し町が発展したため、どんな小さな町でも駅前中心の市街地が形成されましたが、道外の場合は城下町や宿場町など既に既存の市街地があり、鉄道用地の確保が困難だったのかもしれませんね。
また、大都市から大都市へのルート選定の上でなるべく無駄のないルートにしたかったのかもしれません。(新幹線の新○○駅のように)

俗説では蒸気機関車の煙や乗客により外部からもたらされる疫病の懸念から鉄道を忌み嫌う風潮もあったとの事ですが、長岡や平(現いわき)ではお城の堀を埋めて鉄道を敷設したようですから、真偽のほどはわかりかねますが…。

 

Re: 街の顔

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月20日(金)17時04分14秒
返信・引用
  永遠の旅人さんへ

駅前の活況ってやはり大事ですよね。
それに駅前の様子でそのマチの性格が何となくわかる場合も多い。


秋田県に忠犬ハチ公の故郷、大館という町がありますが、私は初めてここの駅に降り立った時はビックリしました。
駅前に繁華街はおろか、店らしい店も何もないんですよね。夜に着いたら周りはほとんど真っ暗です。
人口8万人クラスの特急も停まるマチだというのに、いったいどうしちゃったんだろう?と不思議に思いました。

実はこのマチの中心街は駅から1Km以上離れたところにあって、駅に接続する道路も幹線道路から外れています。
旭川で言うなら、そうですね、近文駅とか新旭川駅の辺りにメイン駅があるってイメージですね。

何故メインの駅がこんな街外れにあるんだろう?
ホテルのある中心街まで行くのにもいちいちタクシーを使わねばなりません。
高速バスも駅前から出てるので、これまたホテルから駅までタクシーです。
他所から訪れる者にとっては、不便さと、駅前での第一歩の何もない印象だけが強く残ります。

おそらくそれなりの経緯があっての事でしょうが、色んな意味でかなり損をしてると思います。
例としてはちょっと極端でしたが、
駅前に活況がない、
空洞化によって駅前の利便性が大きく失われている、
郊外分散によりクルマがなければとんでもなく不便、
等々、外部の目から見るとそういう事だと思います。



ペデストリアンデッキについては、北彩都の当初計画の中にスカイウォークというのがあって、
これは、半円形のアクリルで覆った雪の溜まらない全天候型構造を計画していたようです。
予算削減で帳消しになってしまいましたが、実際に計画されてた事から技術的には問題ないのではないでしょうか。
 

街の顔

 投稿者:永遠の旅人(momonga転送)  投稿日:2015年 3月20日(金)09時10分29秒
返信・引用
  momongaさん おはようございます。
永遠の旅人です。

中心部の空洞化で街の顔をなくした釧路や苫小牧を見てください。
道外の県庁所在地クラスでもそのような都市はたくさんあります。
苫小牧なんて人口増加都市ですが少なくても駅を降りて活気がある都市だとは全く感じません。

一方で長崎県の佐世保市は福岡への流出を受けながらも人口25万都市とは思えない中心部の賑わいを感じる事ができ、斜陽都市と思って来訪した者にとって拍子抜けするほどです。

民間企業は利益の出ない事は絶対にやりません。
その意味でイオンモールが進出し、西武やフィールが迎え撃つべく改装するという事実をもってすれば、旭川駅前は全国的にはまだまだ魅力的なエリアなのでしょう。

ペデストリアンデッキと言えば印象的なのは杜の都仙台。
信号待ちしなくてもいいのが最大のメリットですが、積雪地には厳しいかもしれませんね。
除雪、融雪、いずれもコストや維持管理に難があります。

事実、日本海側にはほとんどありませんね。
長岡駅前(新潟県)や山形駅前、秋田駅前に歩道橋レベルのものはありますが、真冬でもほとんど積雪のない秋田市や山形市ですらそのような状況ですから、旭川市では非常に厳しいのではないかと思われます。

 

Re: そもそもですが…

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月19日(木)17時52分43秒
返信・引用 編集済
  必要か必要でないか、と問われれば、私は大いに必要だと思います。

わざわざ狭い中心部に今さら店が必要か?郊外店があればいいじゃないか、という意見も耳にしますが、
それはあくまで車での移動を前提とした、地元の人間の利便性からの観点にしか過ぎません。
旭川駅という玄関口の存在も、旭川を訪れる人の利便性も、車を運転しない人の大変さも無視しています。
あと、何だかんだ言って、やはりマチの顔という側面もあります。

地元の人間の移動手段が車中心になったから、という論理だけで中心商店街の必要性は語れないと思います。
本当に必要(=需要)がなくなれば、論じるまでもなく勝手に消滅して行くでしょうしね。
(需要を創り出すというのも重要ですが)


> 魅力を感じると言いますか、行きたい店があるのかどうかも知りませんけど、イオンですら年に数回しか行かないのでよく分かりません。
> 高校生の時は毎日このエリアが通学コースだったのですが、当時はアーケードがあり突然の雨が降っても信号猛ダッシュだけで、それほど雨に濡れずに遊んでいた思い出があります。

私も似たようなもんです。
ショッピングは、目的のものだけを見てまわり、目的の買物が済んだら即終了です。(笑)

昔のアーケードに比べりゃ、キャノピーはずっと開放的だし、歩行者にとって非常にありがたいものだと思うんですが・・・
雨の日のウィンドーショッピングなんかは、間違いなくキャノピーの続いてるところまで、というのが人の心理でしょうね。

 

そもそもですが…

 投稿者:あず  投稿日:2015年 3月18日(水)23時11分19秒
返信・引用
  買物公園エリアにある商店ってmomongaは必要だと思いますか?
魅力を感じると言いますか、行きたい店があるのかどうかも知りませんけど、イオンですら年に数回しか行かないのでよく分かりません。

高校生の時は毎日このエリアが通学コースだったのですが、当時はアーケードがあり突然の雨が降っても信号猛ダッシュだけで、それほど雨に濡れずに遊んでいた思い出があります。

 

キャノピー反対???

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月15日(日)14時01分55秒
返信・引用
  私は従来から当掲示板でも唱えてきた通り、ペデストリアンデッキ推奨派です。
駅周辺をペデストリアンデッキで有機的に結び、北彩都大池や買物公園などに人の流れを呼び込む事を唱えてきました。

今回、イオンモールの開店にあたって、西武デパートからも旭川市に対して要望があったとの事です。
悲しいかな、おカネのない旭川市は、駅前広場に設置されてるキャノピーを、イオン側から買物公園にも延長する形でカンベンを・・という事になったようです。
まあ、それはそれで何もしないよりは遥かに良いと思います。
ただ、大した必要性の感じられないスポーツ公園に何十億ものおカネをかけるくらいなら・・とも思います。


それはともかく、地元誌によれば、一条以北の商店主らから「こちら側にはいらない」という声が上がってるとか。
私はこれ、いよいよ自虐的になったのかな!?とビックリしています。
理由を聞いてさらにビックリ。
「屋根の下を歩かれると店の看板が見えなくなる」だそうです。
え?アーケードのあった時代はどうだったの??

あきれてしまって、開いた口が塞がりません。
昨日、駅前広場のキャノピーの下を歩きながら確認してみました。
あのキャノピー程度の幅ですと死角になるのはほとんど頭上の方向だけで、斜め上はかなりの角度まで視野があります。
西武やフィールのような、高い建物のてっぺんにある看板は隠れるかもしれませんが、低層の建物なら屋根の上まで充分見渡せます。
いったい何のための反対なんでしょうか?

先に看板ありきでショッピングする人なんてそうそう多いとは思えませんし、実際には看板は見えます。
そもそも、歩く人がいなくなってしまったら元も子もない、ということを考えないのでしょうか?

 

ごかいも~ん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月15日(日)09時44分36秒
返信・引用
  開業以来旭川駅西側を覆っていた仮壁がついに取り払われましたね。
ベールに包まれていたイオンの内側がとうとう姿を現し始めました。
少々広さを持て余し気味だった旭川駅も、これでようやく賑わいが出てくるかな。


 

Re: 鋲っぽい

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月13日(金)10時16分23秒
返信・引用
  お、あずさんお久しぶりです。
生きてて良かった良かった(笑)

私も頭にわざわざ屋号?を入れているところが気になってました。
ああいった印を入れるということは、製造者を記すアピールが目的ですよね。
線路固定用のいわゆるイヌクギではないような気がします。

IMAIさん、もしかしたら本当に珍品かもしれませんよ?

 

鋲っぽい

 投稿者:あず  投稿日:2015年 3月12日(木)22時22分47秒
返信・引用
  皆様、ご無沙汰しておりました。
死亡説を払拭するためにも久々にお邪魔します。(笑)

IMAIさんがイヌクギと言われ買った…。

個人的に見た時の印象は、神社などに使用されている鋲の類ではないかと思いました。
打ち込まれると丸頭の鋲しか見えませんが、長さからは構造的に釘としての機能を持ち合わせ、さらに装飾を兼ねたものでは無いかと思いますが…。

神社仏閣あるいは大店の建築物であれば、屋号なり家紋なりをデザインした鋳物を発注できたかもしれません。

 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 3月11日(水)00時24分26秒
返信・引用
  > No.989[元記事へ]

かんじさんへ

!!!!

昨日、書き込んだケド・・・
消えてる!?

押すところを間違った様です



色々調べて頂いてありがとうございます( ´▽`)


後は、家でオブジェとして飾っておきます

 

Re: イヌクギ?

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 3月 9日(月)13時28分32秒
返信・引用
  > No.988[元記事へ]

IMAIさんへ

> 提示いただいた写真確かにイヌですね~
> やっぱり自分のは、違う気がしてきました。
私は語源を示しただけで、実際に日本で普及したイヌクギは丸い亀のようなアメリカ製の流れを汲むものなのですよね。
だから丸くてもイヌクギではあると思います。

> 長さは、19cm程ありました
おお、かなり長いものなのですね。
まさにイヌクギ級です(^^;
で、いろいろ調べてましたが、IMAIさん所有のレトロな釘に匹敵する品が他に見当たらないというのが現状です。
でも鉄道のレール関連品で「止釘」というものがあります。
http://www.yamakatsu1021.jp/ropekanren/rail.html
(イヌクギの下に絵が載っています)
これはイヌクギのようにレールを止める専用品ではなく要するに大きな釘です。
これだと頭が丸くて釘の中心に頭がのっています。
これかもしれません。
長さもジャストですよね。
現物の写真が見つからないのですけど、、、、。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 3月 8日(日)14時48分51秒
返信・引用
  > No.986[元記事へ]

かんじさんへ
ご無沙汰です( ´▽`)

提示いただいた写真確かにイヌですね~

やっぱり自分のは、違う気がしてきました。


長さは、19cm程ありました
 

1963年

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 3月 3日(火)12時10分24秒
返信・引用
  昨日は実に久々に本格的な雪かきで汗を流した、という印象です。
いや、印象ではなく事実そうですよね。
べたべたの重い雪でしたネ。


またまた雪の話題で恐縮ですが、
この1月、2月は結局記録的な小雪で終わりました。
その割にあまり報道されないのは、道内他地域は大荒れ続きのせいかな?

1月の降雪量80センチは観測開始以来5位、
2月は39センチで1963年以来の歴代2位の小雪でしたね。
ポイントは1、2月合わせた数字で、やはり1963年以来2位の記録的小雪だったと言えます。
いちばん寒くて、最も積雪の積み上がる時期に2ヶ月連続して楽させてもらったという感じです。
例年、このくらいの雪の量だと旭川の冬もさほど苦になりませんよね。
まだ記録は追ってませんが、気温もかなり記録的な暖かさだったような気がします。

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=12&block_no=47407&year=&month=&day=&view=p6


表題の1963年の小雪はちょっと特異です。
一冬の累積降雪量は374センチ。
これに対しこの冬ここまでの累積降雪量は318センチ。
3月の降雪というのは非常にムラが多く、多い年と少ない年でかなり極端に数字が変動します。
さて、どうなることやら・・・
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 3月 2日(月)18時15分15秒
返信・引用 編集済
  > No.983[元記事へ]

IMAIさんへ

かんじです。しばらくでした。
珍しいものをお持ちですね。イヌクギですか。
私も知識があまりないのですが、これを機会に調べていたところです。
が、同じような釘が見当たりません。
で、サイズなんですがお持ちの釘はどのくらいの大きさでしょうか?
レールを止めるイヌクギであれば15cm以上もあると思いますが。

また、イヌクギという言葉は知っていましたが、犬に似ている?似ていないなと思っていましたが、言葉の由来はイギリス製のレール用の釘で、これを見ると確かにまさしく犬だなと思いました。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Spike_001.jpg

IMAIさんがご提示のものは、頭が丸く模様が入っていてなんとなく装飾的な感じも受けました。
断面が四角い釘は「和釘」と呼ばれ明治期までの日本の建築に用いられていたようですが、そんな釘なのかななんて想像もしました。
とにかく頭が薄く丸く綺麗なのでレール用ではない気がするんです。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 2月27日(金)20時56分12秒
返信・引用
  > No.984[元記事へ]

momongaさんへ

> IMAIさん、お久しぶりです!
> 生きてましたか(笑)

ギリギリですが何とか生きてます( ´艸`)


> これまた、珍問ですねー ^_^;

テヘェ~ (*゚ー゚)ゞ


途中略


> ザンネンながらイヌクギに関する私の知識はこれだけです。m(__)m

では、この釘の正体が不明なままで

失礼します ε=ε=ε=ε=\(;゚ロ゚)/


ありがとうございました。
 

Re: イヌクギ?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月27日(金)20時06分15秒
返信・引用 編集済
  IMAIさん、お久しぶりです!
生きてましたか(笑)


これまた、珍問ですねー ^_^;

たまたまですが、正月のNHKのブラタモリ復活編第一弾でイヌクギの由来が登場してましたね。
鉄オタのタモリ曰く、
明治期に日本は英国から鉄道技術を導入していたので、枕木に線路を固定するための釘も英国式のイヌクギを採用した、という様な事を言ってました。
その名の通り、釘の頭の形が犬の鼻に似ているところからこの名がついているそうです。

その通りだとすると、写真の釘の頭は真ん丸なので、明らかに違う気がしますよね。
もしかすると、枕木に固定するクギを総称してイヌクギと呼んでるとか?

ザンネンながらイヌクギに関する私の知識はこれだけです。m(__)m


PS:頭に入っている屋号のような模様が何なのかちょっと気になりますね。
 

イヌクギ?

 投稿者:IMAI  投稿日:2015年 2月27日(金)17時41分59秒
返信・引用
  momongaさん

ご無沙汰をしてます ^ ^

又、変な話です

アンティーク雑貨店で
イヌクギと言われ買ったのですが・・・

画像検索でググルと
ニアンスが若干違うんですよ

畑違いなお話かも知れませんが
もし
ご存知なら教えて頂きたいデス
 

Re: もう一つ

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月25日(水)12時05分3秒
返信・引用
  愚問だなんてとんでもありません。
私も分かってる風な言い方をしてますが、実際には分からない事だらけです。
質問されるのを機会に色々調べるのがまた楽しいんですよ。

ぜひまたおいでください。
 

Re: もう一つ

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2015年 2月24日(火)15時13分22秒
返信・引用
  > No.980[元記事へ]

momongaさん

皆様にとっては愚問ばかり書いてしまいました
まだまだ未熟者ですm(__)m

ありがとうございましたm(__)m
 

Re: もう一つ

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月24日(火)11時07分33秒
返信・引用
  モリゴロウさんへ

色々出てきますね(笑)
西武百貨店が出店したのは昭和50年、緑屋出店が54年、両者が統合して今の西武のAB館になったのが56年です。
当時私も若かりし頃で、マチへも毎日のように寄り道しました。
ですから、西武出店の頃の状況は知ってますが、地下通路のような工事はまったく見ていません。
そうそう、つい3年ほど前に旧旭川駅舎を取り壊していた時、しばらく地下部分が丸見えになっていましたが、
西武へ繋がるような構造物はありませんでしたよ。
もしかしたら、当時そのような地下道を造ろうじゃないか、という話はあったかもしれません。
そんな話だけが都市伝説になって残ったんじゃないでしょうか。


もう一つのご質問は、事実はともかく可能性としては充分有り得る話だと思います。
と言いますのは、宝くじ公園の麓一帯は、戦前までは陸軍の弾薬庫であり、戦後も自衛隊の弾薬支処として昭和50年頃まで使われていました。
現在、自衛隊の萩岡宿舎が並んでる辺りですね。
春光台キャンプ場一帯までは全て立ち入り制限区域でしたよ。

また、隣り合わせの春光台トンネルの辺りは軍の射撃訓練場でした。
ここはやはり現在も自衛隊の燃料支処になっていますよね。
実際、地下貯蔵庫と思しき扉が今も土手沿いに並んでますよ。
http://9008.teacup.com/momonga_farm/bbs/index/detail/comm_id/215
(この付近のレスのやりとりも参考までに覗いてみてください)

そんなこんなで、この付近から旧軍の遺構が出てきても不思議ではありません。
防空壕というよりも、春光台の地形を利用した地下弾薬庫があったかもしれませんね。
もはや秘密でも何でもないと思いますよ。

 

もう一つ

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2015年 2月23日(月)22時02分36秒
返信・引用
  教えていただきたい案件があります

前旭川駅時代のとき、ステーションデパートがありましたが
そこから西武デパートに通じる地下歩道空間が出来上がっていた(通路的なもの)と聞いた事があります
そんな話をご存知でしたら教えて下さい

もう一つ

春光台に地下道(軍事用)があると言う話を最近聞きました
作業知っている方からの話でしたが、突っ込んで聞いたらモジョモジョ(国家機密か?)と話をはぐらかされました
場所的には高専横か宝くじ公園付近から春光台トンネル出口付近(交通機動隊がある場所)と思われます
防空壕に使用するために掘った物なのか、不思議です

宝くじ公園では20年位前に散策路で南部14年式(軍用拳銃)が発見された事もありました
何か今でも隠されている様な気がしてなりません。

  
 

Re: イオンモール 西

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2015年 2月21日(土)17時50分3秒
返信・引用
  > No.977[元記事へ]

永遠の旅人さん

ご返答ありがとうございます!

オバサンの手旗信号!(驚)なんて アバウトなんでしょう(笑)
きっと交通量も少なく貨車の動きも頻繁ではなかったんでしょうね~

皆さんのお話を総合すると昭和53~57年の間に無くなったって感じですね
年代範囲も少しずつ縮まってきて嬉しいです

あ、一人で盛り上がっていてスイマセン。。。
 

Re: イオンモール 西

 投稿者:永遠の旅人さんより転送  投稿日:2015年 2月21日(土)12時19分31秒
返信・引用
  永遠の旅人です。

いつもお世話になっております。

緑町のホクレン飼料工場引込線の踏切。懐かしいですね。

今から約35年前くらいですかね。あの踏切は遮断機や警報機がなく、頬被りをしたオバサンが手旗信号で交通整理をしていたんですよ(笑)

今では旭川鷹栖ICへのアクセス道路として交通量が多い嵐山通も当時は2車線で歩道もない畦道みたいな道路でしたからね。

緑町13丁目付近で嵐山通と交差していた大町岐線よりも遅くまで残っていたはずです。


 

Re: イオンモール 西

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2015年 2月20日(金)15時21分22秒
返信・引用
  > No.972[元記事へ]

momongaさん、かんじサン

早速のご返答ありがとうございます!

書き方が悪くて申し訳ありませんでした
気になっていたのは引き込み線でした(汗)

そしてホクレンの工場だった事、今思い出しました
記憶の飼料会社のイメージも日配ではなくニップン飼料で
しかもニップン飼料は近文小の裏手にあったって事も、霧が晴れる様に思い出しました

大町駅の引き込み線は昭和53年に廃止になっている事と、お二人のお話から推測して
昭和52~3年に廃止になった可能性が高いですね

しかも6年以上前に論議されていた事も知らずに質問してすいません

またこれに懲りず色々とご指導くださいませ

ありがとうございました

 

Re: イオンモール 西

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月19日(木)20時17分24秒
返信・引用
  モリゴロウさんはじめまして。よろしくお願いします。

「鉄男」さんですから引き込み線の話ですよね?
あそこはイオンができる前はホクレン系の飼料工場でしたよ。
私の記憶では工場そのものはイオンができる数年前には移転して更地になっていたと思います。
イオンの進出打診が先か後かは分かりませんが・・・

実はこの引き込み線の話題、何年か前にもありました。
http://9008.teacup.com/momonga_farm/bbs/index/detail/comm_id/190

飼料工場は昭和43年に稼動したとの事ですので、おそらく専用線も同時に敷かれたと思われます。
昭和45年、担任の先生がこの近くに住んでいて、同級生と遊びに行った時に踏み切りを渡った記憶がかすかに残っています。

でもって、問題の廃線のほうは残念ながら私もはっきりした時期は分かりません。
ちょうどこの時期私も旭川を離れておりまして・・・m(__)m
ただ、思い起こすに、昭和57年頃は私も仕事で近文駅近辺をしょっちゅう走っており、その時踏み切りは既になかったと記憶してます。
実際には昭和50年代前半くらいで使われなくなっていたのではないでしょうか。

 

Re: イオンモール 西

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 2月19日(木)17時46分29秒
返信・引用
  > No.972[元記事へ]

モリゴロウさんへ

ありゃ、読み直してみると日配飼料がいつ無くなったのかが知りたかったのかな。

でも私の持っている平成14年の地図ではあそこはホクレン工場となっています。
2000年(平成12年)の電話帳では錦町23丁目はホクレンパールライス旭川工場となっていますよ。
昭和49年の地図では線路がしっかり書かれていますので、この時点での線路は間違いないです。
工場の形を見る限りその後のホクレンの工場も同じ形をしています。
そしてそのホクレン工場がなくなったのは、イオンの建設と同時ですので、平成14年に無くなった事になります。



 

Re: イオンモール 西

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 2月19日(木)16時58分16秒
返信・引用
  モリゴロウさんへ

かんじですこんにちは、わたしもmomongaさんのHPではまった口です。
よろしくおねがいします。

さて
> 記憶の中では父親の車に乗って見た覚えがあり昭和48~昭和57年の間ではないかと推測します

1977年(昭和52年)の航空写真を見ますと、なにやら線路らしきものが写っているように思えます。
貨車のようなものが一輌ありますので、この時点まではあったのではないでしょうか。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=911688&isDetail=true
線路の先が切れていると思ったら、これはスイッチバックして本線に入って行ったように思えますねぇ。
 

イオンモール 西

 投稿者:モリゴロウ  投稿日:2015年 2月19日(木)13時28分31秒
返信・引用
  初めまして!

momongaさんのHPを見てどっぷりと旭川の郷土史にハマりました

私は俗に言う「鉄男」で駅舎や廃線に興味があります

旭川で廃線となった引き込み線でイオンモール西にあった日配飼料(多分ですが)が
いつ無くなったのか知りたくてメールしました

記憶の中では父親の車に乗って見た覚えがあり昭和48~昭和57年の間ではないかと推測します
(昭和58年には免許を取得してチョロチョロしていたので)笑

グーグルで見ても路盤があった所は斜めに住宅が立ち並んでいるので飼料会社の敷地に線路があった事は
間違いないのですが(敷地内に貨車があった記憶もあります)

何かお気付きの事があれば、ご伝授下さいませ

よろしくお願いします


 

Re: 雪が消える!?

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 2月19日(木)10時41分3秒
返信・引用
  > No.970[元記事へ]

momongaさんへ

おかしいですね。確かに異常だと思いますよ。
例年の半分なんてありえないですよね。
http://www.jma-net.go.jp/sapporo/tenki/kansoku/snow/snowmap/snowgraph.html?&no=14&element=Snc9am&dateSelect=2015-02-19

まぁ世界的にみれば日本ほどの豪雪地帯に大きな都市があることの方がおかしいらしく、
ドイツのような国でも積雪は少ないようですけど。
日本は雨も多いですからね。
平均すると3日に一回は雨が降っているとか。
四季がはっきりしているのが日本の特徴とはよく言いますが、水の国、雪の国でもあるのですね。
災害を除けば気象に変化があることは素敵な事だと思います。
日本に生まれて良かった(和風総本家)ですね。
昨今は旭川としては寒さが足りないかななんて思っています。
-30℃なんて寒さは確かに厳しいですが、寒い日は間違いなく晴れた穏やかな日ですので、わたしは大好きです。
黒いコートを着ていると風の無い晴れた日は-30℃でも暖かな気持ちの良い朝だと思います。
ダイヤモンドダストなんかあったら最高です。
これはなかなか伝わりにくい旭川の素敵な一面だと思っていますよ。

 

雪が消える!?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 2月17日(火)12時10分15秒
返信・引用
  今冬の旭川はどうしちゃったんでしょうね?
天気予報ではやたら「大荒れ」とか「暴風雪」という言葉を聞きますが、旭川は完全に蚊帳の外、いや、蚊帳の中といった感じです。

私も長いこと旭川に住んでますが、これほど雪かきの楽な冬は記憶にありません。(^^)v
10センチ以上のまとまった積雪があったのは1月の上旬だったでしょうか。
それ以降1ヶ月以上の間2回ほど軽く4~5センチ積もった程度であとはクルマに薄っすら被る程度。
現在の積雪は一応37センチとなっていますが、これほとんど正月までに積もった雪ですよね。
市内の道路脇の雪山も少なく、家の周りに積んだ雪もいつもの半分以下、
例年なら年越したあたりで自分の家の周りはいっぱいになり、あとは融雪機の世話になるのですが、今冬は何と1度も融雪機を使ってない!
ようやく灯油価格が少し下がったというのに皮肉なもんです。(笑)

お天道様の光は日一日と力強さを増して来ましたし、この先1週間も気温は高めのようで、週末には雨の予報になってますね。
こりゃへたすると積雪の大半がなくなる可能性もありです。


でも最近の傾向として、3月4月の冬の終わりにどっさり降って、結局雪解けが遅れるんだよなあ・・・
けっして侮ってはいけません。

 

永遠の旅人さんより

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 1月15日(木)10時33分30秒
返信・引用
  再度メールによる投稿頂きました。
おそらく一部のスマホ、モバイルからの投稿が掲示板上で文字化けするものと思われます。
(汎用的でないフォントが使われてる?)
こればっかりは管理者である私にもどうにもできませんので、メールで構いませんのでお送りください。
その場合、ハンドル名とできればタイトルを付記していただければと思います。
今後も発信者が分かる形で転載いたします。



以下本文
--------------------------------------------------------------------------------
昨年末は大変ご面倒をおかけして申し訳ございません。
今後ともよろしくお願いいたします。

第七師団。歴史には光と陰はつきものですが、曲がりなりにもその存在が極寒の地に現在の風格ある都市基盤を築いたのは紛れもない事実です。

北海道特有の問題もあるのでしょう。私は小学校の社会科の授業では第七師団について満足に習った記憶がありません。
戦後、師団通りが平和通りに名称変更したぐらいでしょうか(笑)

あの北海道新聞社がイデオロギーを越えて事実は事実として伝えたのですから、そろそろ教育の現場でも次世代を担う子供たちに真実を教えてほしいものです。

北海道音楽大行進の件、貴殿の考え方に賛成です。護国神社が起点ですらないって…
もはや存在意義も疑わしいのではないですか。

北海道護国神社が札幌ではなく旭川にあるという意味を良く考えて欲しいですね。
他県では青森県護国神社も県庁所在地の青森市ではなく、同じく軍都として栄えた城下町弘前市にありますね。
ただ、基本的には県庁所在地に祀られています。

しかし、第七師団の存在の大きさがその後の旭川の町を官依存体質に陥らせてしまったのではないかとも思います。

屯田兵→陸軍→公共事業…
農業も稲作が主流。
何もしなくても商業的には成功する羨ましい土地柄でした。
常に国策に過度に依存して来た歴史を見てとれます。

一方、帯広や北見は民間開拓を発端としており、国に頼れない分、民間によるまちづくり活動も旭川に比べて盛んです。

旭川は前述のように都市基盤や地理的優位性から非常にポテンシャルは高い都市です。
都心から空港まで車で25分。観光地も近くにいくらでもある。家具製造や農業だってやり方次第ではもっともっと伸びる。

人口30万を超える県庁所在地で産業基盤も旭川の比ではない和歌山市や前橋市の中心市街地の寂れ様は酷いものがあります。
つまりは権威に頼れないのが現代の地方都市です。

旭川の場合、皮肉にもドン底を経験してこなかった歴史が災いしている気がします。

消滅可能性都市にされた今がまさに正念場です。
いかにポテンシャルを活かして反転攻勢に出るか。


 

『第七師団 旭川の礎』

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 1月12日(月)15時22分59秒
返信・引用
  いきなりどうしちゃったんでしょうね。
今日の北海道新聞朝刊には、16・17面の全面を使ってタイトル通りの特集が組まれていました。
今日は何か大きな出来事があった日だったかな?と一瞬考えましたが、それは特になさそうです。


内容は、昭和初期の冨貴堂(暖簾分け時代)発行による旭川市街地図をベースに、現在も残る師団遺構写真とそれらの解説、
それに戦前までの年表などを加え、旭川の歴史を第七師団との関連に絞って史実をまとめたものですが、
必要最小限の解説文ながら旭川の街の起源・発展の要点が押さえられており、たいへん良い特集だと思います。
道新のこの手の特集に付き物のプロパカンダも見当たりませんでしたし(笑)

先だって、かんじさんが尋ねられた「旭都」と呼ばれた件も簡単に触れられていましたね。
大正時代まで使われていた言葉のようですから、思ったより古い時代の話のようです。
それによると、北海道の「京都」「東京」という住民の自負を反映した、とありますから、
どちらかと言うと岩村通俊・永山武四郎の北京構想・離宮計画の名残のようです。
私の言った「旭日の都」はちょっと外したかもしれませんが、あながち間違いとも言い切れませんよネ。(^^ゞ


グッドタイミングで奇しくも当時の旭川市民のプライドの高さをうかがえる特集ですが、
その主たる要因が第七師団の存在であり、北京構想・離宮計画にあった事は明らかです。
この時代、「道都」たる道庁の存在よりも、こちらのほうが”格上”という意識だったのではないでしょうか。
永遠の旅人さんが提起された、もっと自身を持って、という言葉も、
こういった自分のマチの歴史を知る事により、プライドに繋がって行くものと思います。


 

今年も宜しくお願いいたします

 投稿者:momongaメール  投稿日:2015年 1月 4日(日)12時59分43秒
返信・引用
  例年ですと、私も干支の画像を貼り付けて新年のご挨拶を申し上げるところですが、
喪中につき本年は控えさせていただきます。m(__)m



年末に投稿頂いた永遠の旅人さん。
おっしゃる通り旭川のポテンシャルはかなり高いものがあると思います。
ただ私が思うに、プライドという意味では戦前までがMAXだったのではないかと考えています。
県庁所在地になり切れなかった旭川が札幌に対抗できる唯一の「持ち駒」が日本最大の師団の存在だったからです。

戦前までは都市としての風格が札幌にさほど遜色なかった旭川が、
敗戦と同時にその強力な持ち駒を失ってしまい、残念ながら札幌に従たる都市に成り下がってしまいました。
もちろん、今さら軍都の復活は有り得ませんが、
せめて市民意識の上では昔のプライドを取り戻してほしいものですね。
そのためにも自分のマチの歴史をもっとよく知っておくべきだと思います。



当掲示板に出入りされてる方々、またロムされてる皆さま方、
今年もまた多いに地元史を探訪し、旭川を盛り上げる一助としたいと願っています。


PS:新年よりブラタモリ復活を喜んでいるmomongaです。(^^)
 

明けましておめでとうございます。

 投稿者:かんじ  投稿日:2015年 1月 1日(木)13時17分20秒
返信・引用
  今年もよろしくお願いします。  

永遠の旅人さん

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年12月30日(火)10時25分29秒
返信・引用
  下記投稿、文字化けしてしまったようでわざわざメールで頂きました。
ありがとうございます。
たぶん、同じ内容だと思いますので転載しておきます。



以下メール本文
---------------------------------------------------------------

旭川で生まれ、通算20年ちょっと人生の約半分をこの町で過ごし、今は本州某都市で暮らしています。

全国各地いろいろな町に住んできましたが、雪の問題はあるにせよ総合的には大変住みやすい町だと思っています。

人口、商業集積、医療機関の充実、都市計画道路の整備率の高さ(渋滞がほとんどない)
他地域なら十分県庁所在地レベルです。
中心商店街の活気だって、全国的に見ればまだまだしっかりしています。

しかし地元に日刊新聞社やテレビ局などのマスコミがないので文化の発信力が弱く、その事で札幌や他地域に対して何か卑屈なまでの劣等感が市民にも染み付いてしまっているのが非常に残念ですね。

青森県(八戸、弘前)
山形県(酒田、鶴岡)
福島県(郡山、会津若松)
茨城県(つくば・土浦)
群馬県(高崎)
新潟県(長岡、上越)
長野県(松本、上田、飯田)
静岡県(浜松、沼津)
兵庫県(姫路)
鳥取県(米子)
岡山県(倉敷)
広島県(福山)
山口県(下関、周南、防府)
福岡県(北九州、久留米)
長崎県(佐世保)
などなど、全国には県庁所在地ではなくても独特のプライドと存在感を放っている町がたくさんあります。

北海道だと帯広、函館はそんな誇りの高さを感じる数少ない町ですね。

旭川、ポテンシャルは高いです。
もっと自信を持って!


 

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 投稿者:??  投稿日:2014年12月30日(火)09時38分34秒
返信・引用
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Re: 嫌いだ旭川

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年12月 7日(日)10時01分28秒
返信・引用
  早く脱出したい者さんへ

その名の通り旭川から出た事がないのであれば、ぜひ一度旭川を離れてみることをお勧めします。
そうでなきゃ地元の良いも悪いもわかりませんよね。
どちらかと言うと悪い面ばかりが目に付くと思います。^^

 

Re: 嫌いだ旭川

 投稿者:早く脱出したい者  投稿日:2014年12月 7日(日)01時57分39秒
返信・引用
  通りすがりの者ですがさんへ

> なんか生き急ぐ車の運転
> コンビニで買い物してるだけでも
> 後ろが近い
> こだわりが強いクセに
> 流されやすい
> 行動する前にウンチクで悩む
> のくせコメンテーター

全く同感
 

旭都?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年11月28日(金)11時08分20秒
返信・引用
  > No.960[元記事へ]

かんじさんへ

旭都って、確かに昔聞いたことがあるような気がしますって程度ですね。
少なくとも私自身はほとんど耳にしたことがありません。
たぶん若い頃新聞記事とか地元誌の中で街を形容する言葉として使われていたのを見たのかもしれませんが、
むしろ北都の方が多く使われてたような気がします。

ただ、主に戦前に使われていた言葉だとすればわかる気がします。
つまり、これこそまさに「旭日の都」を意味しているのではないでしょうか。
ですから交通の要衛どうのこうのよりも、やはり軍都を意味した表現だと思います。

実は旭川市の徽章も現在のHPでは「北斗星に日章」という言い方をしていますが、
本来あれは「北斗星に旭日」なんですよね。
戦後になって言い方を変えたと思われますが、そんな流れで旭都という表現も使われなくなったのかもしれませんね。



> 旭川の地名に関してはアイヌ語意訳を唱える人は既に少数派になっているようにも思うのです。

そうであれば非常に嬉しいんですが、私にはそう思えません。
一般に流布されている旭川の名の由来は大半が依然としてアイヌ語由来説ばかりで、
ちょっとでも郷土史を勉強されてる方々はおかしいと気づくでしょうけど、
そうでない方は盲目的に「アイヌ語なんだ」と刷り込まれているはずです。
やはり、旭川市のHPを変えない限りこの傾向は変わらないと思われます。



 

Re: 参加者多くてビックリ

 投稿者:かんじ  投稿日:2014年11月27日(木)16時02分31秒
返信・引用
  > No.959[元記事へ]

momongaさんへ


> 「地名・幽霊・都市伝説~旭川近現代史の謎を追う」に行ってまいりました。
> 講師は旭川市博物館学芸員の岡本さんです。
大盛況だったようですね。わたしも行きたかった、、、、。

> 一人でも多くの市民に、アイヌ語意訳ばかりではない、こういった説も昔からあるんだよ、という事を知って頂きたいと思います。

旭川の地名に関してはアイヌ語意訳を唱える人は既に少数派になっているようにも思うのです。
でも、文献等で示されるものがすべてアイヌ語からのものなので、これを変えるのは並大抵の事ではないでしょう。
議会で議案として議決でもしない限りね。
あとは地道に唱え続ければ以前北海道経済に掲載されたように、少しずつ新たな認識が広がることでしょう。
また、旭川市史の編纂に合わせてそのテーブルに上げてゆくというのが具体的かもしれませんね。

ps.
今月号のメディア旭川リレーエッセイ「いわせてもらえば」という記事の中で、旭川はかつて軍都と呼ばれると同時に、旭都と呼ばれたこともある事を知りました。
軍に依存した都市としての軍都ともう一つ、上川の中心地として交通の要衝としての旭都という位置づけだそうです。
私は全く知らなかったので、ただへーーっと思って読んでいたのでしたが、momongaさんは知っていましたか?
もし知っていればもう少し補足してほしいのです。
「旭都」ってどういう意味ですか?
軍都は言葉の組み合わせから意味を知ることができますが、旭都ではいまいちわかり難いです。
単純に旭川は北の都だよって意味でしょうかね。ちなみに札幌は幌都と呼ばれたとも書いてあるのです。幌都も凄い言い方だなと思いますけど、なんか名前の付け方が理解しにくいです(^^)
 

参加者多くてビックリ

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年11月25日(火)16時22分35秒
返信・引用
  23日に旭川市博物館で開催された連続講座「ミュージアムカレッジ 旭川近現代史ミステリーファイル」の第一回
「地名・幽霊・都市伝説~旭川近現代史の謎を追う」に行ってまいりました。
講師は旭川市博物館学芸員の岡本さんです。

いやあー、参加人数の多さにビックリしました。
募集人員は20名となってましたが、
正直言って「どうせガラガラだろう」くらいに思って当日になって電話で申し込み、
クリスタルホールのレストランでわざわざ時間潰してから5分前に会場へ・・・
ところが何と博物館の会議室は既に満席状態、それも席を大幅に追加したと見えて優に定員の倍以上の人が座っていました。
担当の岡本さんも驚いてたくらいですから、やはり想定外だったんでしょうね。

会場には北鎮記念館の前館長平塚さんも見えられてました。
あとポテトのカメラが入ってましたね。
ちょっと気になったのは、5、60代以降と思われる年輩の方々がほとんどで、若い年代の方の姿が見当たらなかったことです。
3連休の真ん中でしたし、しょうがないのかなあ・・・


さて、肝心の講座の内容ですが、
私としては楽しみにしていた地名に関する話題が前半40分程度で終わってしまい、後の多くは旭川に伝わる幽霊やUFOネタでした。
今回はどちらかと言うとこの都市伝説のほうに重きを置いていたように感じます。
この点、地名関連についてはちょっと消化不良気味で、是非とも単独で開催して頂きたかったと思います。

ただその中でも、旭川の地名由来については永山武四郎命名による旭日説を紹介したり、
神楽の由来も岩村通俊命名による非アイヌ語説を紹介したり、
また、永山村についても明治天皇命名説が有力となっている事などを紹介したりと、
全体的にはアイヌ語由来と合わせて故松井恒幸元博物館長の説を踏襲した内容を採り上げられていました。

これは私も大変うれしく思いました。
一人でも多くの市民に、アイヌ語意訳ばかりではない、こういった説も昔からあるんだよ、という事を知って頂きたいと思います。

終了後、岡本さんとはちょっとだけ立ち話をしましたが、
本当は師団官舎の件でも何か情報をお持ちでないか伺おうと思ってたんですが、
予想外の人の多さだったので遠慮しました。

 

Re: 第七師団の官舎

 投稿者:かんじ  投稿日:2014年11月11日(火)17時56分5秒
返信・引用 編集済
  > No.957[元記事へ]

momongaさんへ

意外と簡単そうな事がわからないものですね。
今ある師団官舎の形状の特徴から建築年を推定する事が。

1.煉瓦基礎
 これは煉瓦基礎がコンクリート基礎よりも古いことは間違いないでしょうが、そもそも明治30年代の官舎の基礎に煉瓦基礎を持たないものもあった可能性もあるわけでその辺りが不明です。

2.瓦屋根
 偕行社や師団司令部の屋根が瓦屋根だった事は写真からも明確です。では官舎の屋根はどうだったのか。瓦屋根がのこる官舎が最近まであった事は写真で確認できますが、明治30年代の下級官舎はマサ拭き屋根だったという情報もあり、マサ拭き、瓦、トタン、とその変遷がわかりません。

3.屋根形状
 和風切妻(緩勾配、急勾配)、洋風切妻、マンサード屋根、ギャンブレル屋根、など終戦時には混在していますが、建築年代で違うのか、同時代でも違うのか系統だって説明できません。

4.壁面形状
 和風の板壁と洋風板壁とモルタル複合があるようですが、これも年代がわかりません。

現在、ギャンブレル屋根(腰折れ屋根)と呼ばれる形状の屋根形式の住宅がいつ頃から普及したのかを追っていますが、これさえもよく分からないなんて、情けないです。
こんなに苦労するとは思わなかった(;_;)

今日北鎮記念館でやっている展示会を見てきました。
その中に平成4年に東海大で調査した第七師団の官舎建築がありました。平成4年当時160軒の師団官舎が残っていたということで写真もついていました。
でも築年代に関する記述はありませんでしたが、今度お借りしてもう少しじっくり見てみたいと思います。

門柱は追加されていると思います。
というのは明治30年代はコンクリートが有ったものの貴重品で普及していませんので、コンクリートの門柱は後に作られたものだと思います。

腰折れ屋根は確かに明治の中期に伝わっていますが、酪農や種羊の牧舎の用途で始まりました。
一般住宅に採用されるのは大正後期だと思いますが?
基本は二階構造なのですが、師団官舎の腰折れ屋根はそれほど高くありません。
あくまでも瓦やマサに変わるトタン屋根としての採用と思われます。中折れにすると積もった雪が少し移動すると折れて、少しずつ落下するという利点もあるそうです。
 

Re: 第七師団の官舎

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年11月10日(月)16時37分29秒
返信・引用
  > はたして春光町に現存する師団官舎で明治期のものがあるのでしょうか、、、、、、。

何年か前に聞いた情報ですが、確かあることはあるはずです。
ただもちろん、実際住居として使われ続けているので、そのまま残っている訳ではないでしょうけど。

かんじさんが紹介してくださったレンガ基礎のこの家ですが、
https://www.google.co.jp/maps/@43.7990035,142.3541625,3a,75y,155.29h,80.16t/data=!3m4!1e1!3m2!1sGkU-8rfZbM86cIq07lxhsg!2e0?hl=ja
門柱がコンクリート製ですよね。
官舎ですので、後で門柱だけを追加するとはちょっと考えづらいし、
屋根だけ構造を変えて造作し直すというのは建築上どうなんでしょう?
(テレビのビフォー・アフターでは番組の性格上無理矢理それに近い事をやってますが・・・)
どちらかというと、基礎だけを再利用して建て直されているとは考えられないでしょうか。

まてよ、そういえば司令部の門柱は明治のレンガ造りからコンクリート製に造り直されてるか・・・混乱(笑)


問題の中折れ式屋根は、ちょうど明治の中頃に欧米から伝わって北海道でも採用され始めた建築様式みたいですね。
第七師団建設時は、兵舎にガラス窓をふんだんに使うなど当時の最新建築様式が数多く取り入れられたと聞きます。
ということは、この屋根だから明治の建物ではないと断じられないのではないでしょうか?
瓦屋根と中折れ式屋根は当初から混在してたのかも。
あくまで建築素人の想像ですが。


ちなみに、私の中学生の頃の記憶では、
春光町にはまだまだ旧師団官舎が数多く残ってましたが、その大半が中折れ式の屋根だった気がします。
(逆にそれが戦前からの建物だという目印になってたわけですが)
やはり連隊長・大隊長クラス以上の一部のお偉方の官舎だけが瓦屋根だったのでは?


 

Re: 第七師団の官舎

 投稿者:かんじ  投稿日:2014年11月 7日(金)16時16分40秒
返信・引用
  かんじさんへ

自分へのレスですね(^^;
中折れ屋根と言われる駒形切妻屋根(ギャンブレル屋根)の普及期がわかりました。
この屋根は酪農や種羊の導入にともなって北海道に入ってきたものです。
この屋根が一般住宅に普及するようになったのは大正後期から昭和初期といったところです。
昭和初期の建物で残っているものがそれなりにあります。
天井を高くできるとか、屋根裏部屋を活用できるなんて利点もありますが、
何といってもそのスタイルが流行したのだと思われます。
昭和2年築造の名寄駅が残っているのも凄いですね。

ということで師団の官舎に関して言えば、ギャンブレル屋根を持つ物は明治期に建てられたものではありませんでした。
前回指摘したように屋根だけリフォームしたという可能性はありますが。
木造の壁面に関しては縦桟木の入ったものが古いだろうと書きましたが、
壁面に関しては時代と共に変わったというよりも、和風建築か洋風建築かという違いが大きいようです。
大正から昭和初期はモダンな洋風建築が盛んに入ってきた時期です。
ギャンブレル屋根で縦長の窓をであったりした場合は洋風の壁面にしたと思われます。
洋風の木造壁面は時期的に大正以降だと思われますが、和風の建築を行う場合は、近年でも縦桟木の入った壁面を使うので、和風だから古いとは言えないようです。

はたして春光町に現存する師団官舎で明治期のものがあるのでしょうか、、、、、、。

 

Re: 第七師団の官舎

 投稿者:かんじ  投稿日:2014年11月 6日(木)15時41分23秒
返信・引用 編集済
  momongaさんへ

> 連隊長(大佐)はじめ佐官クラスの官舎の屋根はどうだったんでしょうね。
> もしかしたらフラットな方の屋根は元々は瓦屋根だったのかもしれないですよ?
> 2段傾斜の屋根は最初からトタン使用の自然落雪設計だったと思われますが。

そうなんです。
明治期の最初の師団建築は瓦屋根だったようなのです。
偕行社もたしか瓦でしたよね。
ひょっとしてすべての官舎も最初は瓦だった可能性が高いです。
https://www.google.co.jp/maps/@43.8008986,142.3539516,3a,75y,118.94h,93.97t/data=!3m4!1e1!3m2!1sTb-GuJvnrZJ8cp7hc-xPUw!2e0?hl=ja
このお宅の前には古い瓦が沢山積んでありました。
これは改修で出てきた瓦かもしれません。
また、
https://www.google.co.jp/maps/@43.8005463,142.35347,3a,75y,86.58h,87.94t/data=!3m4!1e1!3m2!1s-KlY-EbJgoIL9UlM8dfPPA!2e0?hl=ja
こちらのお宅の物置の屋根は今でも瓦です。
もっとも当時の瓦ではなく今の薄いスレート瓦になっていますが。

肝心の年代なのですが、現在、屋根の形だけでなく、壁面構造と基礎構造にも着目しています。
壁面ももちろんみな木造ですが、そのタイプには違いがあります。
リブというか縦の桟木のようなものが細かく入った板壁が明らかに古いと思われます。
これは美瑛舎の板壁にも使われている構造で、明治期に多いものではないかと思います。
縦に桟木の入っていない、横板だけの板壁は建設時期的に新しいと思われます。
また煉瓦基礎を持つ現存する官舎も4つくらい確認していますが、明治の地図に載っていないものは大正の3年頃の増築後にできたものだと思われます。

などなど勘案しますと、春光5条1丁目6-11にあるこの建物が一番古い可能性が出てきました。
https://www.google.co.jp/maps/@43.7990035,142.3541625,3a,75y,155.29h,80.16t/data=!3m4!1e1!3m2!1sGkU-8rfZbM86cIq07lxhsg!2e0?hl=ja

理由は板壁の種類と煉瓦基礎とその立っている場所なんです。
この場所は明治期の地図に既に建物があります。そして古い縦桟木のある板壁で、煉瓦基礎なんです。
屋根が中折れタイプですので矛盾しますが、これは瓦屋根をリフォームしたのではないでしょうか?
つまり当初は一般的な瓦の三角の切妻屋根であったものをトタンの当時流行した中折れ屋根に変えた可能性がたかいのです。

前回示しました春光6条4丁目2-7の家も
https://www.google.co.jp/maps/@43.8028285,142.3566166,3a,66y,130.32h,82.69t/data=!3m4!1e1!3m2!1s337zPE-4XFFcdlEIa4Jj0Q!2e0?hl=ja
古い板壁の煉瓦基礎なので一見するとこちらの方が古い感じも受けます。
屋根も切妻屋根ですし、敷地も広く立派ですから。
でも年代的には明治期の地図にはこの場所に官舎は立っていません。
つまり師団の増築後の建物なのです。
たぶん大正3年頃です。

なかなかスッキリとはわかりませんが、もう少し調査を続けます(^^;
 

Re: 第七師団の官舎

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年11月 4日(火)18時28分57秒
返信・引用
  う~~ん・・・ヒントですか?

やっぱ師団の官舎ですから、師団関連の資料を漁るしかないと思うんですが、
お偉方の官舎や大規模兵舎なら割と色んな郷土史資料にも登場しますが、
一般士官の官舎の履歴となると、それこそ事務レベルの資料が残ってない限り追うのは難しそうですね。
軍隊もれっきとした役所ですから、衛戍施設の発注記録や資産台帳・人事入居記録など全てあったんでしょうけど、
おそらくそういったもの全部ひっくるめて軍側にあった資料は終戦直後に処分されてしまったんでしょうね。
あとは戦後になって師団施設のかなりの部分は一旦国から市に払い下げられていますから、
もしかしたら何か建物の内訳資料が残されているかもしれません。


資料がなければ”現物”調査しかありませんが、
少なくとも私のような素人には建物の外観で築年代まではとても分かりません。(中を見ても分かりませんが)
屋根の形もそうですが、時代ごとに採用された特徴的な建築手法や建築材などがあればある程度推察できるでしょうけど、
大きく改修されてると思われる建物になるともうチンプンカンプンです。
それこそ川島先生のようなプロが屋根裏や床下に潜り込まなければ当初の建築年代判定は難しいと思います。


師団創設当初の建物は明治33年~35年の建築ですから、おっしゃる通り戦前までの間に少なくともリフォームされてる可能性は高いですよね。
もちろん大正や昭和に入ってから新たに建てられた、あるいは建て直された建物も多いと思います。
師団創設当初一斉に建てられた時の官舎は、階級によって何パターンかあるもののおそらく同一設計だったと思われますが、
その後に建てられた官舎はまた違った設計だったでしょうし、改修や建て直し等も考えると、
最終的に戦後の払い下げ時点ではけっこうバラエティに富んでたのかもしれませんね。


北鎮記念館に、旅団長宅の鬼瓦が展示されてますが、師団長・旅団長(中将・少将)など”特別”な官舎は瓦屋根だったという事になります。
あの頃はまだ旭川の冬の厳しさがわからず、けっこう瓦屋根にした建物が多かったんですよね。
連隊長(大佐)はじめ佐官クラスの官舎の屋根はどうだったんでしょうね。
もしかしたらフラットな方の屋根は元々は瓦屋根だったのかもしれないですよ?
2段傾斜の屋根は最初からトタン使用の自然落雪設計だったと思われますが。

 

第七師団の官舎

 投稿者:かんじ  投稿日:2014年10月31日(金)16時56分41秒
返信・引用
  なかなか難問です。
実は今第七師団の官舎の築年代を調べています。
春光町にはいまでも戦前の官舎がいくつも残っていますが、はたしてそれがいつ作られたものなのか、なかなかわかりません。
第七師団といいましても明治30年代から昭和20年まで50年近くの期間があるわけで、全てが明治期に作られたわけではないようなのです。
そして官舎と言っても色々なタイプがありまして、高級士官の官舎から連隊長、少佐など住んでいた家も様々だった可能性が高いわけです。
今残っている家を形状をもとにタイプ分けすることはある程度可能でしょう。
ではそれが作られた年代による違いなのか、または階級などによる住まいの違いなのかを総合するとかなりややこしくなります。
さらに100年近い時を経ているわけで、住んでいる方はかなり改造をされている方もいますので、一件新しく見えても築年は古かったりもするわけです。
川島先生や古建築の研究家でもこの辺りはなかなか明確にされていないようですねぇ。
参考に数件の写真を上げますが、こんなところに着目して調査してみたら?なんてヒントでもあればうれしいです。

むむ~~~。
http://www.google.co.jp/maps/@43.8005219,142.3812544,3a,75y,129.26h,86.54t/data=!3m4!1e1!3m2!1sG6OG9b7aWdG_f79n_C1bcg!2e0?hl=ja
http://www.google.co.jp/maps/@43.8063175,142.3719379,3a,75y,114.35h,83.23t/data=!3m4!1e1!3m2!1sKV924CdotcdYsHlCzn1w4g!2e0?hl=ja
http://www.google.co.jp/maps/@43.8049753,142.3759338,3a,75y,96.36h,80.41t/data=!3m4!1e1!3m2!1s2vO3oeEbekqYxiRbCEQmaw!2e0?hl=ja
http://www.google.co.jp/maps/@43.8028285,142.3566166,3a,75y,130.54h,86.04t/data=!3m4!1e1!3m2!1s337zPE-4XFFcdlEIa4Jj0Q!2e0?hl=ja

大正3年頃かなりの増築がされたようで、それを考えると現存する第七師団官舎は全て大正以降の可能性もあります。
特に中折れ屋根という少し丸い形の屋根を持つ住宅が多いのですが、これらは明治ではないと思うんですよねぇぇ。
 

Re: 石山通?

 投稿者:momongaメール  投稿日:2014年10月30日(木)20時39分24秒
返信・引用
  石山線元利用者さん、情報ありがとうございます。

何と言っても、こういった実体験に基づく”生”の情報が最も強力だと思います。
こういった情報の積み重ねが、我々がなかなか解明できない一つの史実へと結びつくものと確信しています。
今後とも、もし何かお知りの情報がありましたら是非お知らせくださればと思います。
宜しくお願いします。m(__)m

 

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